きゃあ、もうすぐで9月終わっちゃうじゃない。
何してたんだろう。 あんまり記憶がないわ。
時のたつのって早いわね。
遠く離れた友人から 「更新がないけど生きてる?」 とメールがあったので、
「生きてるよ〜」 とお返事したら 「じゃあ、ブログ書こうよ」 と言われて、
うん、 かくかくかく! と、ひざが笑ってるような返事をしたままはや数日。
久々に文章を書くと自分の語り口みたいなものを忘れてしまった感じですが、 もしかしたらそもそも私に決まった語り口ってあっただろうか・・。
何冊か読んだんだけれども久々だからやっぱり気に入ったものをと思ったら、 またまた中島京子 になってしまいました。

ツアー1989 中島 京子著 2006.5 集英社
読んでから何日もたってしまったうえに、あいだに何冊もはさんでいるので記憶が曖昧なため、 再読を。
そう、 記憶とは曖昧でなものなのです。
養老猛さんがおっしゃったように(たしか・・)、 記憶はウソをつくものなのです。
バブル末期の1989年に行われた香港行きの 「迷子つきツアー」 に参加した人々の曖昧な記憶。
あのとき、 同じツアーに参加してたような気もしないでもない、 とっても影の薄い若者。 あの若者を私達は香港に置いてきてしまったのではないか。 そんな気もしないでもない。
10数年前の香港ツアーで置いていかれたらしい若者から届く一通のラブレター。
それを受け取る倦怠感あふれる人妻。
ラブレターをある人から預かったという 「迷子つきツアー」で行方不明になったらしい若者を探すフリーライター。
そんな影の薄い若者がいたかもしれないけれど、 恋人と逃避行しようとしてツアー客たちをさっさと飛行機に乗せてしまうことしか考えていなかった女性添乗員。
同じツアーに 「リフレッシュ休暇」 で参加した中年会社員も、 そんな若者が、そういえば居たような居なかったような、記憶がはっきりしない。
バブル期に、 普通のツアーではもうお客たちも満足しなくなっていたからと、 奇妙なツアーを企画した旅行会社の男性は、 あれは 『なにかを置き去りにすること』 『なにかを忘れてしまうこと』 のような奇妙な感覚を人々が求めていた時代の 『やらせ』で、 本当は誰も迷子になったりしていないと言うのだが・・・。
手紙や日記やブログで10数年前のツアーで味わった奇妙な感覚を思い出した数人が、 そのツアーのことや当時の自分に起きた出来事の記憶をたどる。
「イナクナッチャッタ」かもしれない影の薄い誰か。
本当に誰か 「イナクナッチャッタ」のか。
自分の記憶を自分に都合の良いふうに変えてしまっていないか。
そして曖昧な記憶はなぜか甘美でもあり。
この本の登場人物たちは奇妙な記憶の余韻に不思議な気持ちにさせられているのですが、 読んでいるこちらにも読後に奇妙な余韻が残ります。
「イナクナッチャッタ」 のはあの頃の自分なのではないのか。
そうゆうことを書いてるのかな、この本。
10数年もたてば、 細胞なんて全部入れ替わって新しいものになってしまっているんだし、
「記憶」なんて脳に残った「余韻」であって、 あの頃の自分はもう「イナクナッチャッタ」も同然なのかもしれない。
・・なぁ〜んて思うように仕向けられちゃった!
小説もどれだけ自分に甘美な余韻を残すかで、好き嫌いが決まるのでしょうね。
お・す・す・め。


