普段ほとんど見ないテレビなど見てしまったからいけないのだ。
テレビなんて 食べ物のCMばかり流す悪魔だ。
「なんか、このゲーム飽きたなー。 つまんないよ。」
「つまんないものやってないで、止めればいいじゃないの。」
「ああ。」
ゲームを止めて普通のテレビに変えた恭一が、あれーという素っ頓狂な声を出す。
「チャンネルが変わんないよ。 あれー、あれー?」
「電池がもうないんじゃないの。 一回電池取り出してもう一度入れなおすとまだ使えることがあるわよ。」
「ここ何日かずーっとそれやってるよ。」
「新しいの出したら?」
電池の買い置きが置いてある場所を指差すと、恭一はそこを探し出した。
「ないよー。」
「あるでしょ。」
「ないよー、 単4電池だよ。」
「あら、本当?」
探してみたが確かに単3と単1の電池しかない。
電池はテレビが置いてある横の棚の引き出しに買い置きを置いてある為、引き出しを閉めながら自然とテレビの画面を見ることになってしまった。
「ふーん、 スキムミルク
ダイエットだって。 色んなダイエットがあるのね。」
中腰の姿勢が辛くなったので恭一の横に腰をおろす。 最近、長く立っているととても辛い。
「ダイエットなんか、だめだよ。」 恭一がぼそっと言う。
「うん。 でもほら、 カルシウムが牛乳よりずっと取れるって言ってる。 カルシウムを取るのはいいことじゃない。 女性は男性よりずっとカルシウムが必要なのよ。」
「それは、子供を生む前の若い女性のことじゃないの?」
「何言ってるのよ、子供をお腹の中で育てたり母乳をあげたりしてカルシウムを大量に使った女性はその後もどんどん取らないと ”骨粗しょう症” になっちゃうのよ。 男性よりずーっと骨粗しょう症になりやすいんだから。 あ、書くもの取って。」
女子アナが説明するスキムミルクダイエットの為のレシピを書き留める。
「一日1100mg のカルシウムが必要なんだって。 えー、それには、スキムミルク100gと40gのヨーグルトを・・・。 スキムミルク100gってけっこうな量ねえ。 それを毎日取るの? 相当、買ってこなくちゃならないわ。」
「あーあ、お母さん、あのモニターの人たち、あんなに
体重減っちゃってるよ、 やっちゃだめだよ。」
あれで痩せたつもり? 可笑しくなってしまう。
「でも、『美味しい!』って 試食してるゲストの人たちも絶賛してる。 お母さんは、他にばしばし脂っこいものとか食べれば大丈夫よ。 ふーん、牛乳でヨーグルトを作ることはたまにあるけど、なるほど牛乳の代わりにスキムミルクねえ。」
「ねえ、やめなよ。 退院したばかりなんだから。」
「うるさいわね、女は痩せてるのが一番綺麗なんだから。 そうだ、恭一のガールフレンドにも薦めてみたら? 『お母さん、スマートで羨ましいわー』って言ってたじゃない。」
半年前、恭一はガールフレンドの真理子を家に連れてきた。 私の見たところ、身長157cm、体重49.5kg ってとこだろう。 太りすぎだ。 若いからって許されるもんじゃない。
「恭ちゃんのお母さん、すっごく細くてスマートで羨ましいです。 私も痩せたいんだけどなかなか〜。」
などと言いながら、持ってきたケーキを勧められるままに私の分まで全部食べてしまった。
「真理子は別に太ってないよ。」 恭一はぶすっとした顔をする。
先月、2度目に遊びに来たときは、私の姿を見て、驚いたような顔をした。 そりゃあそうよ。 家族に無理やり入院させられたお陰で体重が増えてしまった私は、そのあとまた必死のダイエットをして、以前よりさらに美しくなっていたのだから。
私と比べて自分の醜い姿が恥ずかしかったのだろう、真理子は驚いた顔をしたあとほとんど私を見ないようにしていた。
「お母さん、携帯鳴ってるよ。」
メールを見る。
「あ、理香子の塾のお迎えの時間だわ、 行って来るね。」
「お母さん、大丈夫? まためまいしたりしない? 最近運転してないじゃないか。 理香子にはバスで帰らせればいいじゃない。」
「いいんだってば。 電池も買ってくるから。」
車を車庫から出し、娘の塾の方向に走らせる。 途中、家の近くのスタードラッグの横を通った。
危ない!
信号もないところを横断する人影を見つけてブレーキを踏んだ。 ちょうどスタードラッグの前だ。
危ないわねー、と思いながら回りを見て、 あらっ?と思った。
店の前に車が三台止まっている。 そして対向車線側にも数台。
ちゃんと駐車場があるのに。 それに店の前にはバス停もあるのだ。 普段、店の前に駐車する車は滅多に見かけない。
店の前に横付けにした車の運転席から太った女性がいきなりドアをあけて出てきた。
後ろも確認せずにドアを開けたので、その横を通り過ぎようとした私は冷やっとした。
そういえばさっき対向車線に止めた車の助手席から飛び出すように出てきた女性も、かなり立派な体格をしていた。 まったく世の中の女たちは自分の姿を鏡で見たことがあるのだろうか。
もしかして。 いや、私が家を出る時にはさっきの番組は終わっていなかった。 しかし不安が押し寄せてきた。
塾の前で待っていた理香子を車に乗せると私は言った。
「そこのスーパーでヨーグルトと電池と、それからスキムミルクを買うから。」
「スキムミルクってなあに?」
私は先ほどの番組の内容を説明した。 女性がカルシウムと取ることの重要性を話し、ダイエットの部分については省略した。 ”ダイエット” という言葉に家族は過剰に反応するので面倒くさい。
「うん、買って行こう! 私もいつか赤ちゃんを産むんだからカルシウムは大事だもん。 それにお母さん、こないだも足首を骨折しちゃったから、カルシウムを取ったほうがいいよ。」
大型スーパーの駐車場に車を止めると、地下の食料品売り場に行った。 ヨーグルトはいつも買うからすぐに見つけられる。 はて、スキムミルクはどこらへんに置いてあるのだろう。 私は近くで棚の整理をしている店員に声を掛けた。
「スキムミルクは、どこら辺に置いてありますか。」
するとその20代そこそこの若い男の店員は、「あー。」 はいはい、というような感じで、
「もうね、ぜーんぶ、ないですよ。 30分くらい前からないですよ。」
と、言いながら はっと息を呑む。 まただ。 若い男性までもが私のスレンダーな身体にドキリとくるようなのだ。 まんざらでもない気分。
30分くらい前から? さっきの番組の影響だろうことは、その店員の受け答え方でわかった。
まずい。 急いでレジに向かう。
「スキムミルクを買おうと思ったら売切れなんですって。 いつもそんなに売れるものかしら?」
「そうなんですよー、 さっき次から次へ買っていくお客さんが多いもんですから、 聞いたんですよー。 そしたらやっぱりテレビでやっていたらしくって。 なんだかダイエットにいいとか? どんどん売れて、『スキムミルクないんですかー?』 って もう何人ものお客さんが聞いてくるんですよ。」
私は焦った。 みんながみんな痩せてどうする。 私の美しさが目立たなくなってしまうではないか。 皆がその気なら私はもっともっと痩せて誰よりも美しくなってやろう。
レジ係りの女性はお金を払う時に私の手首のあたりを見てはっとした顔をした。 こんなにダイエットしているのになぜか最近顔がむくんでしまっているので、 顔を見ただけでは私がどんなにスレンダーなのか気づかなかったのだろう。
私の手首は西洋の物語に出てくる可憐なお姫様のように華奢だ。 誰もが見とれてしまうのだ。
レジを離れてもまだ彼女の視線を感じる。 買い物袋に品物入れている私の後姿を見てきっと羨望と嫉妬の入り混じったため息をついていることだろう。
買った品を袋に入れながら里香子に言った。
「さっき、スタードラッグの前にたくさんの車が止まっていたのは それよ! 早く行かなくっちゃ。」
「早く行こうよ、お母さん。」
私達は早足でエレベーターに向かい止めてある車のところに戻った。
スタードラッグに行ってみると、やはりそうだった。
「いやー、ないですよ。 からっぽ。 来るお客さん、来るお客さん、『スキムミルクはないんですかー。』って。 もうあっという間に売れちゃって。」
やばい。 私と娘は目を合わせると慌てて車に戻った。
「どうする?」
「Kストアが開いてるんじゃない?」
「行く?」
「行く!」
「ないですよー。 すみませんねー。 あれでしょ? ダイエットに良いとか。 ああいうテレビ番組の後っていつもそうなんですよねー。 でもほら、リンゴが良いとか、お酢が良いとか、きのこダイエットとかパイナップルダイエットが良いとかっていうなら、けっこう間が持つんですがね、そもそも、スキムミルクなんて普段売れるもんじゃあないですからね、もともとそんなに置いてないんですよ。」
「そうですよねー。」
彼が挙げたものは、全て私が過去に試したものだった。
「だけどー・・」 彼は私のシンデレラのように細いウエストをじろじろといやらしい目つきで見ながら言った。
「奥さん、ダイエットなんか必要ないでしょう。」
「え? 私の場合、カルシウムの補強の為なんですよ。 で、いつ頃 入荷するかしら。」
「いやーねえ、うちのあちこちの支店に問い合わせしたり、問い合わせがきたりしてるんですがね、もう関東近県、どこの支店にもないんですよ。 ぜーんぶ売り切れ。 メーカーだって、普段の生産ラインでやってるからね、すぐには入荷しないと思いますよ。」
「コンビニにも行ってみるわ。」
「ないと思うよ。 諦めようよ。 私、疲れちゃった。 帰ろう。 雨も降ってきたよ。」
「じゃ、理香子のことを一旦家に送ってからまた探しに出掛けるわ。」
「お母さんも帰ろうよ。」
「絶対買わなくちゃいけないの! ほっといて!」
理香子は下を向いてしまった。 近頃、本当にいらいらする。
理香子を家に送り届けると私はすぐに車を発進させた。
根性ないわねえ。 女は美しくなるためにそんな簡単に諦めちゃだめなのよ。
見なさい、巷に溢れている ”諦めてしまった女たち” を。 私はけっしてあんな醜い姿になんかならない。
でも仕方ない、私も若い頃は、 努力というものをしてこなかった。
子供の頃、クラスメートにつけられたあだ名 ”風船ゴジラ" や ”西瓜” ”場所ふさぎ” などの言葉が頭に浮かんだが、慌ててその言葉を振り払った。 今の私にはまったく関係のないあだ名だ。
でも私は死に物狂いで努力をしたの。
鈴木その子 の
鈴木式スーパーダイエット・ノン・ブック愛蔵版 を 読み実践し、 それから
宮本美智子 の
世にも美しいダイエット も 隅から隅まで読んで 頑張った。
それでも 足りずに、食後には 指を喉の奥に入れて 食べたものを吐き出した。
だからこそ結婚だってできたのよ。
子育てをしている間にまた太ってしまったが。 子育てには体力が必要なの。
そう、子育ての一番大変な時期に夫は女を作った。 会社帰りに後をつけて見つけた夫の腕は細い女の腰に回されていた。 高いヒールのすぐ上には細く絞まった女の足首。 まだ子供を生んだことのない平らな腹。
飛び出して追いかけようとしたが、私は横のショーウィンドウに映った自分の姿から目が離せなくなってしまっていた。 醜く太った女がそこには映っていた。
でも今ではこんなに美しく
痩せることが出来たのだわ。 すれ違う人々が感嘆の声をあげ振り向くほどに。
近隣のコンビニを7軒入り、 走っている途中で見つけた見知らぬスーパーにも何件か聞いたが、スキムミルクを手に入れることが出来なかった。
車で走り回っているうちに環八通りに出てきてしまっていた。 いつの間にか雨は激しさを増している。
ハンドルの上に乗せた華奢な指先にあるこんもりとした硬い吐きダコ を 見ているうちになぜだか涙があふれてきた。 私は車を道路の端に止めた。 久しぶりの運転で息切れがする。
「もしもし。 もしもし? 佐知子なの?」
お母さん。
私は知らず知らずのうちに
横浜で暮らしている母に電話をしてしまったようだ。
携帯に耳を当てる。
「お母さん?」
「あー、佐知子。 どうしたの、こんなに夜遅くに。」
「うん。」
何か口の中に入れたまま話しているようだ。 こんなに夜遅くに。 なんて卑しいのだろう。
「なにか食べてるの?」
「うん、昨日から煮込んでいるビーフシチューの味を見てたの。 少しやり方を変えてみたのよ。 うん、なかなかいいわ。」
母の作るビーフシチューの匂いが目の前にあるかのようにリアルに感じられた。 ミルク色の器に盛られたビーフシチュー。 その横に付け合わされるマッシュポテトに混じったバターの香り・・。サワークリームの白。
その情景を振り払いぎゅっと目を閉じると、忘れていた憎しみがふつふつと湧いてきた。 なにもかも母が悪いのだ。 自分が子供の頃に食べ物に苦労したからと言って 私に何でも好きなだけ食べさせた。 料理の稀なるセンスを生かして料理家などになった。 そして毎日毎日、豪華な食事を与え続けたのだ。 自宅内にあるキッチン工房には たくさんの弟子たちが出入りし、朝に昼に夜に美しく盛られたカロリーたっぷりの料理たちが並ぶ。
幼い子供に、それを拒む知恵も勇気もあろうはずがない。
「佐知子、どうしたの?」
「お母さん、 スキムミルクある?」
「え? あるけど。 パンを作るのに必要だからね。」
「今から 行くから。」
「え?」
「それから、 キッチンのドアはきっちり閉めておいて。」
電話を切ると、サイドブレーキを降ろし車を発進させた。 第3京浜の入り口はすぐそこだ。
360度のきついコーナーを過ぎると見通しのいい直線が続く。 私はすぐに一番右側の車線に行く。 ワイパーの存在が邪魔なほどに雨がフロントガラスを叩く。
お腹が空いたな。 朝、リンゴを半個食べたのに。 昨日と今日で一個だ。 少し頭がぼんやりする。
前を走っている大型トラックの赤いテールランプが雨と混ざって眩しい。
なんて遅いんだろう。 速度計を見る。 140キロ。
遅いくせに追い越し車線にいつまでも居座わっているトラックが憎たらしい。
左の車線に一度移って このトラックを追い越してからまた右側に戻ろうか。
バックミラーとサイドミラーで確認してみるが この雨の中、どの車もスピードを出していてなかなか左に割り込めそうもない。
だんだんイライラしてきた。 私は急いでるのよ。 スキムミルクを早く手に入れてヨーグルトと混ぜ合わせて作っても、仕上がるまでには半日はかかるという。
一刻も早く他の女たちよりも作ってしまわなくては。
救急車で運ばれて、 医者にまで 「このまま放っておいたら死んでしまうところだったんですよ。」 などと大げさに言われて。 夫は私の手を取って 「すまない。」なんて涙を流して。 なんにもわかっちゃいない。
おかげで 5kgも太らされてしまった。 そのあと体重をまた減らすのがどんなに大変だったか。
もう一度、鈴木式と宮本式をやってみようかな。 あれはかなり効いた。
前を走っていた大型トラックの後ろのランプが突然赤く強く光る。
その眩しさに私は目も頭もくらくらしてしまった。
あー、でも 鈴木その子は突然死んでしまったのよね。 宮本美智子 も 若くして死んでしまった。 醜く太ったまま年を取って死ぬのと、美しくスレンダーな姿で若くして死ぬのとどちらが幸せなんだろう。 考えるまでもないわね。
あの赤くて強くて眩しい光は、どういう意味だったかしら。 近頃、思考速度が遅くて。
光がフロントガラスいっぱいに広がり、世界が輝く赤に包まれた瞬間にわかった。
あれは ブレーキラン・・・・・・・