みちひろくんはいつもにこにこ笑っていた。 笑っている顔しか覚えてない。
もしかしたら、 にこにこ顔が素顔なのかもしれない。
みちひろくんは、(みち)が名前の一部に入っている子の誰しもが背負う運命で、あの歌を歌われる。
「みっちゃん、みちみち ○○○して、 紙がないから手でふいて、もったいないからなめちゃった。」
みちひろくんは、この歌を歌われても、にこにこしている。
にこにこしながら、自分も一緒に歌うのだ。
みちひろくんは、 授業中いつもノートに一生懸命、絵を描いていた。
机にうつ伏しているように見えるので、最初は寝ているのかなと思った。
でも、よく見ると右の肩が動いている。
彼の左ななめふたつ後ろに座っている私からは、何をしているのか分からない。
みんなで声をそろえて国語の教科書を音読している時も、 算数のプリントを配られて計算問題を解いている時も、 先生が黒板に書いたことについて説明し、全員が黒板のほうに顔を向けている時も、顔を下に向けたまま夢中で鉛筆を動かしている。
初めてその姿を目撃した時は、 「先生に見つかったら怒られちゃう。」 と はらはらしたが、 先生は時々みちひろくんのことをちらっと見るのに、 壁に貼ってある(5年生の漢字表)を見ているのと変わらない目の色のまま、すっと視線を他に移し授業を進める。
他の子がふざけたり、 私がずーっと窓の外の雲の動きを見ていたりすると注意されるのに。
授業の終わりを告げるチャイムが鳴ると、 日直当番が 「起立!」と叫ぶ。
みんなはがたがたと席を立って 当番の声に習う。
みちひろくんも席を立って みんなと一緒に 「礼」をする。
休み時間にみちひろくんのところに行った。
「何、描いてるの?」
みちひろくんは、茶色のくりくりの目を大きく開いて、ちょっとびっくりしたような感じだったけど、 やっぱりにこにこ顔のままで彼のノートを見せてくれた。
象の絵が描いてあった。
「うわー、すごい。 他のページも見てもいい?」
「うん!」
どのページにも、動物の絵が描いてあった。
ほとんどが犬か猫かすずめを描いた絵なのだが、後半は象ばかりだった。
みちひろくんの絵は、 私や友達が描くような絵とは全然違って、とても大人っぽい絵だった。
漫画っぽくなくて、本物の動物みたいだった。
「みっちゃん、みちみち・・・」 などと歌われていたが、 仲間はずれにされたりしているわけではなく、他の男の子たちと一緒に校庭を走り回っている姿もよくみかけた。
誰かのお誕生日会に呼ばれた時に、みちひろくんもそこに居た。
プレゼントをあげたり、 その子のお母さんの作ってくれたごちそうを食べたり、みんなでゲームをしたり、ケーキやお菓子を食べたり。
その時、コカコーラが出された。
私は、コカコーラの炭酸が苦手で飲めないのだ。
それは、恥ずかしい事だった。
コカコーラをぐびぐびっと飲めるのは、5年生なのだから当たり前なのだ。 1年生や2年生のチビとは、わけが違う。 小さいビンに入ったコカコーラくらいぐびぐびっと飲めないのはまだガキだと見なされる。
みんなはお互い友達の顔をちらちら見ながら、ぐびぐびぐびっと飲んでみせる。
ぐびぐびぐび、ぱあーっと息をつく。
どうしよう・・・、 私は、ビンに口につけてひとくち飲んだ。
口の中に液体が流れ込み、味としては、おいしいと思うのだがそれをまっすぐ喉に落とせない。
口の中の液体をほぐすようにしながらすこしづつ喉に落としていく。
こんなに時間がかかっていては、みんなにばれてしまう。
その時、「おーー!」っと、歓声が上がった。
みんなが注目しているほうを見ると、みちひろくんがコーラのビンを口につけたまま、天を仰いでいる。
ぐびぐびぐびぐびぐび。 ビンの底に残っている液体は、あとわずか。 ぐびぐび・・ぷふぁ−。
「わー、すげ−!」
みちひろくんは、一回も顔を正面に向けることなくコーラを一本、一気飲みしたのだ。
みちひろくんが飲み終わるのが合図だったかのように、誰かが言った。
「外に遊びに行こうぜー。」
みんなはだーっと駆け出して行ってしまった。
部屋にみちひろくんと私だけが取り残された。
まるまる液体が残っているビンを持ったまま、ノルマを達成できていなかった私は外に駆け出す資格はないだろうとうなだれていた。
幸い、みんなはみちひろくんの一気飲みに気を取られていて、私のビンの中身が全然減っていないことに気付かなかったようだが、 誰かが戻ってくる前にどうにかして飲み干さなくてはならない。
多分、一本飲み干すのに30分とか一時間とか かかるだろう。
「飲んであげようか?」
みちひろくんがにこにこした顔で私の顔を覗き込む。
「え? いいの?」
「コーラ、大好きなんだ。」
みちひろくんは私からビンを受け取ると、ひといきで飲んでしまった。
ぷふぁー!
それからテーブルを見渡すと、他の友達のビンを取った。
なあーんだ、 みんな、結構残しているじゃない。
全部飲みきった子は、みちひろくんの他はひとりだけで、 あとの人のビンには、半分とか三分の一くらいの黒い液体が残っている。
みちひろくんは、 「炭酸が抜けちゃうと、おいしくなくなっちゃうからね。」
とにこにこ顔で言って、みんなの残ったコーラをぐびぐびぐびぐびと全部飲んでしまった。
私は、みちひろくんを尊敬してしまった。
みちひろくんは、本当はすごい大人なのかもしれない。
こんなこともあった。
国語の授業で、先生が嬉しそうに黒板の前に立ち、
「みちひろくん、前に出ていらっしゃい。」と言った。
いつものように机に覆い被さるように絵を描いていたみちひろくんは、名前を呼ばれて顔をあげた。
「みちひろくんが、素晴らしい詩を書いてきてくれました。」
へー、どんなのだろう。
みんなもしーんとしている。
「さあ、みんなの前で読んで聞かせてあげましょう。」
みちひろくんは、いつものにこにこにちょっと照れくさそうな笑みも付け加えたような顔で、先生の横に立った。
そして、大きな声で 読み上げた。
「ぞうのうんち XXX みちひろ」
みんながどーっと笑った。
「ぞうはでっかい。 すんごくでっかい。
このあいだ動物園で はじめて見て びっくりした。
でっかくて、びっくりした。
ぼくはびっくりして ずーっと見ていた。
ずーと見ていたら、
でっかいぞうが でっかいうんちした。
ぼとん ぼとん ぼとん
でっかいぞうは でっかいうんちするんだな。
ぼくも でっかくなって でっかいうんちをしてやるぞ 」
みんなは、ひーひー、笑っていた。
女の子たちは、きゃー! やだー! と 悲鳴あげていた。
でも私は、感動していた。 「みちひろくん、 やっぱりすごい!」
どういうイキサツでそうなったのか覚えてないのだが、夏休みに みちひろくんのお母さんが入院している病院にいっしょに行った事がある。
病気だったのか、怪我だったのかは憶えていない。
入院しているお母さんのところに毎日行っているという行為がとってもおとなっぽくて、私はまたみちひろくんに感心してしまった。
「毎日、お見舞いに行くの?」
「かあちゃん、俺が行くとすごく喜ぶんだ。 だから、毎日行くんだ。」
「お見舞いに行くなら、何かお花を買って行きなさい。」 と母に言われてお金をもらった。
「みちひろくん、 お見舞いにお花を持って行きたいんだけど、お花屋さんに寄ってくれる?」
「お花は、いらないよ。 コカコーラがいいよ。 コカコーラ持って行くとかあちゃん喜ぶんだ。」
入院している人が あの炭酸のきついコカコーラなんて飲むのだろうか、と不思議に思ったが、みちひろくんは、
「ぜったい、コカコーラ!」と譲らない。
私は花束を持って本を一冊小脇に抱えて病院にお見舞いに行く少女を想像していて、せっかく薄いみず色のかわいいワンピースを着てきたのになと、 ちょっとがっかりしてしまった。
本は、誰かにもらって2冊持っていた
はなのすきなうしを持ってきた。 幼稚園の時から持っている本で、幼いかなと思ったが、そこに描かれている絵がみちひろくんの描く動物に似ていたからだ。 みちひろくんにあげようと思って母には内緒で持ってきた。
母が持たせてくれたお金で、コカコーラを6本買った。
病室に入ると、本当にみちひろくんのお母さんがベッドに横になっていた。
私は、ドキドキしてしまった。
友達のお母さんが入院してベッドに寝ている姿を見るのは、なんだか衝撃的だった。
「これ、つきちゃんが買ってくれたんだ。」
みちひろくんがコカコーラを見せると、
お母さんは、嬉しそうな顔をして、
「まあ、ありがとうございます。 良かったわね。 みちひろ。」と言った。
本当に嬉しそうな顔をするので、私は少しほっとした。
でも、こんな青白い顔をしてベッドに横たわっている人がコーラなんて飲めるのだろうか。
「じゃ、飲むね。」
とみちひろくんは言うと、
お母さんの枕もとの棚の引き出しをあけ、栓抜きを取り出し、しゅぽしゅぽしゅぽっと、6本とも栓を開けてしまった。
お母さんはベッドに横になったまま、にこにこしながらそんなみちひろくんを見ている。
何がなんだかわからないまま見ているうちに、
みちひろくんは、
ぐびぐびぐび、ぷはー!、 ぐびぐびぐび、ぷはー! と 6本全部、一気飲みしてしまったのだ。
びっくりして私はお母さんの顔を見た。
怒ってるんじゃないかと思ったのだ。
しかし、みちひろくんのお母さんは、さっきと変わらぬ嬉しそうな顔のまま、みちひろくんを見ていた。
「ん、じゃ、帰るから! また明日来るからな、かあちゃん。」
飲み終わると、みちひろくんは口元を袖で拭いながらドアのほうに歩いていった。
私は、多分、挨拶なんてしないまま、みちひろくんを追いかけた。
「な、かあちゃん、すごく喜んでいただろう?」
びっくりしたけど、やっぱり、尊敬してしまった。 みちひろくんて、やっぱり、すごい。
夏休みが終わり、新学期が始まった。
教室にみちひろくんの姿はなかった。 何日たってもみちひろくんは、来ない。
「ね、みちひろくん、どうしたんだろうね。 病気かな?」
女子の輪の中でみんなに聞いてみた。
「えー、知らないのー?、 みちひろは、特別学級に行ったんだよ。」
「トクベツガッキュウって、何なの?」
「頭が悪い子が行く所。 うちの小学校には特別学級ってないから、 他の地区の小学校に転校したんだよ。」
「みちひろ、バカだもんねー。」
「絵ばっか、描いててさー。」
「バカだから、 いつも笑ってるんだよ。」
「ゾウのうんち、だもんねー」
「キャー! やだー、 きたなーい!」
私は、そっとみんなの傍を離れた。
みちひろくんは、すごい子なのに。
毎日、お母さんのお見舞いに行くえらい子なのに。
お母さんが一番喜ぶことを知っている やさしい子なのに。
あんなかっこいい詩をみんなの前で堂々と読めるのに。
動物の絵がとても上手なのに。
コカコーラを6本一気飲みできるすごい子なのに。
最近、小学校の同窓会があって、その時何人かに聞いてみた。
「みちひろくんって、今どこに住んでいるか知っている?」
「誰? そんなやついたっけ?」
私が尋ねた同級生の中では、 誰も、みちひろくんのことを覚えている人は居なかった。
私は、はっきり覚えてる。
みちひろくんの にこにこ顔も。
みちひろくんのフルネームも言える。
そして、 (ぞうのうんち)の 詩 も。
マンロー・リーフおはなし / ロバート・ローソンえ / 光吉 夏弥やく
岩波書店 (1980)
通常24時間以内に発送します。