2006年05月13日

5月13日物語 : 壮絶



6Bの鉛筆の芯をばきばき折りながら、 一文字一分の命を削って書いたのではと思われるような 車谷さんの作品。
読んでるこちらも奥歯に力が入ってしまって読み終われると疲れてしまいます。
この一ヶ月で車谷さんは4冊目。 はまっちゃったのね。
あごが痛い。

       オンライン書店ビーケーワン:飆風

   飆風 ひょうふう 車谷 長吉  講談社

ストレスによる心因性の心臓発作に襲われ、 医者から書くことを止めるのが一番と言われても、 胃潰瘍になっても、 下痢が止まらなくても、書く。 書く。 書く。
漂流物が芥川賞の候補に上ったが落ちた。 候補に上って落ちるのは二度目だ。 
書きかけの 赤目四十八瀧心中未遂を完成させて、 これで直木賞を取ってやる。

ある日、彼は妻に言う。
「ああ、俺は気が狂った。 アロエの毒を呑まされた。」
「誰に。」
「誰にだか判らない。 俺の頭の中を風が吹いていくんだ」 
「風?」 
「飆風だ。 ああァ。」

靴や下駄やスリッパが空中を飛ぶ。
家の中では階段、 廊下が流れている。
外に出れば、道が流れている。
手が直接なにかに触れるのが恐ろしい。
一日に5時間も6時間も雑巾がけをするようになり、 日に500回も600回も石鹸で手を洗う。 手を洗う自分が嫌で堪らないのに、 手を洗うのを止めれば自殺の誘惑が襲ってくる。

「強迫神経症」と医者に診断され、 投薬を受けながら、後に直木賞を受賞することになる 赤目四十八瀧心中未遂を完成させるのだ。
この間にもいくつかの短編を書いている。

そんな崩壊していく自分の姿を書いたのがこの 「飆風」 という作品です。

なんだかいやはやもう壮絶な私小説。


赤目四十八瀧心中未遂 については こちらに書きました。
posted by tsukikohime at 23:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 車谷長吉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月27日

4月27日物語 : 恐るべし車谷長吉


オンライン書店ビーケーワン:赤目四十八滝心中未遂  赤目四十八滝心中未遂  
車谷 長吉 文芸春秋

良い大学を出て会社勤めをしながらも 安定した生活を突き破りたいという衝動に囚われる男。
「私が私であること。」に堪えがたいものを感じ、 安定の世界に身を置けば 「私が無意味に流出して」 しまう恐ろしい気持ちがする。

男は何の当てもないのに会社勤めを辞め、 旅館の下足番、 料理場の下働き、 やくざのたまり場のお好み焼き、 安酒屋と流れて、 尼ヶ崎の出屋敷に辿り着いた。
ブリキの雨樋が錆びついた町で、アパートの一室で来る日も来る日も、焼き鳥屋で使うモツ肉や鳥肉を串に刺し、その日の生活費を得るのだ。
そのアパートには彫り師やその情婦、 一つの部屋を使う数人の若くはない娼婦たち、 ヤクザやゴミを漁って食べている老夫婦などが生息している。

安定した収入を得ていた会社勤めにも自分の居場所を見つけられず、 底辺の生活者たちからも、 ここはお前のようなものの住む世界ではないと言われるが、男はもくもくと串に肉を刺す日々。  そこにかつて小説を書いて雑誌に投稿したときに才能を見込んでくれた男が彼を探し出して訪ねてくる。 また小説を書けと言う。  小説など書くものか、 小説を書くなどということは、 病死した牛や豚の臓物をさばくのと何の変わりがあろう。  探し出されてしまったからには、もうここにも居られない、しかしどこへ行けばよいのだろうと思う男に、 彫師の情婦は 「うちをこの世の外へ連れて逃げて」 と 誘うのだった。

この作品も脚色はあるとしても、 車谷さん自身の生き方に沿ってますよね。

車谷さんの書くものは情念と執念に溢れていて、 へたなホラーより人間の凄みが効いてて怖いです。  書くものはというより、 車谷さんが怖い。
 
119回直木賞受賞したこの作品は映画化もされてます。

主人公を、大西瀧次郎。 内田裕也さんが彫り師役です。 情婦が寺島しのぶ 
監督 荒戸源次郎

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2006年04月25日

4月26日物語 : 贋世捨人


作家自身が主人公である自伝的小説である。

二十五歳の時に 「西行法師全歌集」を読んで発心し、 自分も世捨人として生きたい、 と思った。 

高校受験で失敗し姫路地方では一番下の高校に通うことになったこと、 蓄膿症の手術で中途半端に失敗してその病をかかえていることなど、 劣等感がひとつひとつ刻印されていきながら、 著者の世俗的なものを嫌う傾向が育っていく様がわかる。 

オンライン書店ビーケーワン:贋世捨人 贋世捨人(にせよすてびと) 車谷 長吉 新潮社

車谷さんは強情で執念深く、 なんて薄気味悪くて恐ろしい人だと思った。
高校生のころから人を殺したいという欲望をいだいていたり、 街で見かけた女に一目惚れをしてストーカーまがいのことをしたり、 運転ができないことで仕事に支障が出て困っているくせに、反時代的に生きたいからと頑なに免許を取らなかったり(そのくせ他人の運転する車には乗る)。
禅寺に入門したくて京都に行っても、凄まじい修行の話を聞いて怖気づいて決心がつかず愚図愚図と悩む。  
妹の 「兄ちゃん、 慶応まで出とって、 とどの詰まりは料理場の下働きやないの」 という言葉にかっとして、椅子で頭をぶちのめして妹の眼球に傷をつけてしまったり。
無一物になる、と思いながらも作家として賞が欲しい名声を浴びたいとも思う。
西行、鴨長明、 吉田兼好、 松尾芭蕉、 一休も世捨人として生きたというが、どうやって飯を食っていたかというと、 荘園や社領の上がりで食べていたらしい。 彼らのその言葉は兎も角、 生活面ではみな贋(にせ)世捨人だったのではないかと気付く。
俗物を憎み、反俗、非俗の生き方を求め自分をどんどん落としていきながらも、どうあっても俗世界から離れては生きていけない矛盾と逃れようの無い自分の俗物性に苦しみ、 やがて彼は自分に小説を書くしか脳がないことを悟っていくのだ。 

そうしてこの小説のように自分の醜い秘事をさらけ出しおのれを切り売りするような私小説家と呼ばれるようになったわけだが、
本書の中の
「小説を書くことも、 広告と同様、 騙しである。 併し(しかし)広告の騙しは商品を売り付ける手段であるのに対し、 小説の場合は、 嘘を書くこと、 つまり騙しそのものが目的である」
の言葉のように、 いったいどれが本当のエピソードでどれが嘘(騙し)なのかが、こちらにはわからない。
たくさんの著名な作家や政治家や企業名が実名で登場するので余計騙されやすい。
本人の体は切って売っても良いが、親戚に決して書くなと言われた身内の秘事を書いてしまったり、実在の著名人のあまり良くない話を織り交ぜたりして、そのうち誰かに名誉毀損で訴えられたりしないだろうかと、少々心配になる。

自伝的なものには、 その作家の恥ずかしい部分だけでなく、 必ず笑わせるエピソードや少々カッコよく脚色してるだろうな、の部分があるのだけれど、 この車谷長吉の場合、 醜い部分ばかりだ。
目が離せなくなるほどみっともなく醜悪だ。
そう感じた時点で私は、 車谷長吉の書く「私小説」という名の作品の罠にはまってしまったのだと思う。
事実、 彼の作品をもっともっと読みたいと思う。
ん〜やられた。 
posted by tsukikohime at 15:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 車谷長吉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月19日

4月19日物語 : 注目


車谷長吉(くるまたにちょうきつ) の 忌中 の一番目に収められている話 「古墳の話」の最初のほうに 「私は死刑制度絶対存続論者である」 と出てくる。 「オウム真理教の麻原彰晃(松本智津夫)教祖、及びその配下の実行犯などは許し難い。 麻原彰晃は本質的に犯罪者的人間である。 こういう手合いは東京市中引き回しの上、 磔(はりつけ)獄門にしたらよいのである。」
「また山口県光市母子殺害屍姦事件の犯人である18歳の少年なども、当然、死刑になってしかるべきである。」  と続く。

折りしも昨日(4月18日)、 山口・光母子殺害事件の上告審が結審した。 判決言い渡しの期日は後日指定されるそうだ。

この古墳の話という小説のなかではさらに、 [藤井誠二 「少年に奪われた人生(犯罪被害者遺族の闘い)」(朝日新聞社)] が引用されており、 この事件の経過を報道されている新聞記事より詳しく知ることとなった。

【私は事件発生当日、 仕事を終えて帰宅し、 押し入れの奥で服をはぎ取られ、 手首と口を粘着テープで縛られ、 ゴミのように捨てられていた妻と対面した。
いつもは優しい笑顔で 「おかえりなさい」と温かく迎えてくれる妻とは異なり、 その体は氷のように冷たく、 表情は決して穏やかではなかった。】

そして章が変わり、「昔、私の女友達も強姦殺人の憂き目に遭った。」
と、主人公の高校時代の話に移っていく。
思いを寄せていた同級生と古墳めぐりという同じ趣味で親しくなっていくのだが、初めてのデートを約束した後、 それが果たされる前に彼女は殺されてしまうのだ。
そこから数十年後に、主人公は殺された女友達のために古墳に立って慰霊祭と称して祝詞を上げるのだが、その難しい(私には)漢文の祝詞を、 う、これは手強いぞと思いつつしっかり読んでしまった。


オンライン書店ビーケーワン:忌中 忌中  車谷 長吉  2003.11  文芸春秋

車谷長吉の小説では、日時、地名、人名などがそのまま出てくる事がほとんどなので、 読んでいてどこまでがノンフィクションで、どこからがフィクションなのかわからず、 一人称の語り口で報告文学(記録文学) ふうに書かれているので、緊張感も高まり引き込まれてしまう。

作家自身の身辺の事実をもとに書かれたものも多いのだろうが、 まさか表題作の「忌中」は違うだろう。
病気の妻と心中を決めしかし死に切れなかった主人公が、 先に殺した妻の遺体を茶箱に押し込め、 毎日その腐っていく様子を眺めては自分も早く後追い死をしたいと思いながらずるずると先延ばしにし、 それにはまず自分を生きて行けない状態(金が一銭もない状態)に追い込むことが必要だと、 返す当ての無い多額の借り入れをし、パチンコやヘルシー・ランドのマッサージ嬢につぎ込んだりしながら散財した挙句、とうとう金が尽きると「忌中」と書いた紙を玄関のガラス戸に貼り付け、人生を終わらせる。

ずいぶんわがままな死に方だ。
しかし、心中事件で片割れ(時に子ども)を先に殺しておきながら、自分は死にきれませんでした、などという話はわりとよくあるようで、死を間近に見た途端、我に返ってしまうなんてずいぶんな話だ。
それに比べたら、数日遅れでも後を追うこの主人公は一応罪悪感、責任感らしきものがあるのだろうか。 いや、 もう、 投げやりなんだろうな。
その立場になったことがないから声高には言えないが、 「忌中」の主人公の行動は実は奇異には感じられなかった。

車谷長吉の描く作中人物のねっとりしたタールみたいな部分をなんとなく理解できてしまう。
そういう説得力のある小説を書く人だと思います。
私はかなり注目しています。
 
posted by tsukikohime at 09:06| Comment(4) | TrackBack(1) | 車谷長吉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする