車谷長吉(くるまたにちょうきつ) の
忌中 の一番目に収められている話 「古墳の話」の最初のほうに 「私は死刑制度絶対存続論者である」 と出てくる。 「オウム真理教の麻原彰晃(松本智津夫)教祖、及びその配下の実行犯などは許し難い。 麻原彰晃は本質的に犯罪者的人間である。 こういう手合いは東京市中引き回しの上、 磔(はりつけ)獄門にしたらよいのである。」
「また山口県光市母子殺害屍姦事件の犯人である18歳の少年なども、当然、死刑になってしかるべきである。」 と続く。
折りしも昨日(4月18日)、 山口・光母子殺害事件の上告審が結審した。 判決言い渡しの期日は後日指定されるそうだ。
この
古墳の話という小説のなかではさらに、 [藤井誠二 「少年に奪われた人生(犯罪被害者遺族の闘い)」(朝日新聞社)] が引用されており、 この事件の経過を報道されている新聞記事より詳しく知ることとなった。
【私は事件発生当日、 仕事を終えて帰宅し、 押し入れの奥で服をはぎ取られ、 手首と口を粘着テープで縛られ、 ゴミのように捨てられていた妻と対面した。
いつもは優しい笑顔で 「おかえりなさい」と温かく迎えてくれる妻とは異なり、 その体は氷のように冷たく、 表情は決して穏やかではなかった。】
そして章が変わり、「昔、私の女友達も強姦殺人の憂き目に遭った。」
と、主人公の高校時代の話に移っていく。
思いを寄せていた同級生と古墳めぐりという同じ趣味で親しくなっていくのだが、初めてのデートを約束した後、 それが果たされる前に彼女は殺されてしまうのだ。
そこから数十年後に、主人公は殺された女友達のために古墳に立って慰霊祭と称して祝詞を上げるのだが、その難しい(私には)漢文の祝詞を、 う、これは手強いぞと思いつつしっかり読んでしまった。

忌中 車谷 長吉 2003.11 文芸春秋
車谷長吉の小説では、日時、地名、人名などがそのまま出てくる事がほとんどなので、 読んでいてどこまでがノンフィクションで、どこからがフィクションなのかわからず、 一人称の語り口で報告文学(記録文学) ふうに書かれているので、緊張感も高まり引き込まれてしまう。
作家自身の身辺の事実をもとに書かれたものも多いのだろうが、 まさか表題作の「忌中」は違うだろう。
病気の妻と心中を決めしかし死に切れなかった主人公が、 先に殺した妻の遺体を茶箱に押し込め、 毎日その腐っていく様子を眺めては自分も早く後追い死をしたいと思いながらずるずると先延ばしにし、 それにはまず自分を生きて行けない状態(金が一銭もない状態)に追い込むことが必要だと、 返す当ての無い多額の借り入れをし、パチンコやヘルシー・ランドのマッサージ嬢につぎ込んだりしながら散財した挙句、とうとう金が尽きると「忌中」と書いた紙を玄関のガラス戸に貼り付け、人生を終わらせる。
ずいぶんわがままな死に方だ。
しかし、心中事件で片割れ(時に子ども)を先に殺しておきながら、自分は死にきれませんでした、などという話はわりとよくあるようで、死を間近に見た途端、我に返ってしまうなんてずいぶんな話だ。
それに比べたら、数日遅れでも後を追うこの主人公は一応罪悪感、責任感らしきものがあるのだろうか。 いや、 もう、 投げやりなんだろうな。
その立場になったことがないから声高には言えないが、 「忌中」の主人公の行動は実は奇異には感じられなかった。
車谷長吉の描く作中人物のねっとりしたタールみたいな部分をなんとなく理解できてしまう。
そういう説得力のある小説を書く人だと思います。
私はかなり注目しています。
posted by tsukikohime at 09:06|
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