2006年06月18日

6月18日物語 : 長嶋さんの気持ち

オンライン書店ビーケーワン:いろんな気持ちが本当の気持ち

いろんな気持ちが本当の気持ち  長嶋 有  2005.7  筑摩書房

角田光代 の 「みどりの月」の文庫版を読んだ時に、 無神経でずうずうしい登場人物たちがのさばっているお話で、あまり好きになれなかった。 
そのストーリーは好きではなかったが、それよりも、解説の文章が良くてその一部分を手帳に書き写しておいた。 
それなのに、 その解説を書いた人が誰なのかは書き写し忘れてしまっていた・・。

で、見つけました。
あの解説を書いた人は、長嶋有だったのね。

このエッセイは、 長嶋有が書く小説とは雰囲気が違います。
彼の小説の最後は、主人公や登場人物といっしょにその場に取り残されて軽く呆然自失するような余韻が残るのですが、 エッセイではあれこれあれこれ空想や妄想が飛びまくった末に 「え!そんな断言を」なんて笑ってしまうようなことがいっぱい。

長嶋さんて、 いつも空想や妄想ばかりしていてかわいい。

ギャラリーや劇場やライブに並ぶ列で、 簡単に女性を片思ってしまうそうです。
そして例えば映画が終わるまでの間、空想がどんどん進み 「最後」 までいってしまうそう。 
「最後まで」 というのは、 その子を口説いてセックスするところまで、 ではなくて、 おじいさん、 おばあさんになった2人が縁側で茶をすするまで最後でなくても、 方向はそこを目指してしまうそうで。 
一度別れるが、 再会してよりを戻す、 ぐらいまで順を追って空想してしまうのだそうです。

完全に、危ない男だ。 キモーい (読者にいわれるまえに自分でいっておく) と書いてあるが、 この豊かな想像力、空想力、妄想力がちゃんと「小説を書く」 能力に生かされているから、 危なくないですよ、 と言ってあげたい。


作風からか、 名前のせいなのか 女性と勘違いされることが多いらしく、 それならば、 かわいい女の子に 「長嶋有」 と書かれたタスキをかけさせて 「一日長嶋有」 として サイン会をするのはどうだろうか、 なんて話にも笑ってしまった。


こういった妄想が突き進んでいくエッセイのほか、 好きな本や映画についてのエッセイ、 他の作家の為に書いたいくつかの解説も載っています。

このエッセイのタイトル 「いろんな気持ちが本当の気持ち」 というのは、 角田光代の「みどりの月」 に書いた解説の中の言葉からだったのでした。

手帳に書き留めておいたほど気に入った言葉だったのが初のエッセイのタイトルになっていて、 嬉しくて、 作品だけでなく長嶋さんのファンになってしまいそう。
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2006年06月07日

6月6日物語 : 微妙なお年頃


気がつけば30歳。
いえ、私ではなく。
この4編の短編の主人公がみんなそのくらいの年なんですが、30歳というのは、どうも微妙なお年頃みたいですね。
私なんか、もっとずっとはるかに微妙なお年頃ですが。

オンライン書店ビーケーワン:タンノイのエジンバラ

タンノイのエジンバラ  長嶋 有  2002.12  文芸春秋


気がつけば30歳。
20代の頃はもっと大人だと思っていたけれど、 なってみれば生活にも性格にも特に変化が見られず、成長も見られない。
大きな夢を今から見ることもなく、 目標を持とうとも思わないし、 このままじゃいけないとも思わないし。
明日も来年もこんなもんなのかな、という日常のお話。

表題作の 「タンノイのエジンバラ」 
ひょんなことから隣室の子供を一晩預かることになった失業中の男性。
特に子供好きでもない主人公と小学校3年生くらいの女の子との会話があまり噛み合っていないところがおかしいです。

3人姉弟と義理の母親、実の母、危篤の父、父の新しい愛人などの思いが交錯する 「夜のあぐら」。

半年前に結婚した主人公と妻、離婚したばかりの主人公の姉の3人組によるバルセロナ観光の物語 「バルセロナの印象」。

パチンコ屋の景品係としてアルバイトをする元ピアノ教師の女性とバイト仲間との恋愛にも至らないほどの小さな交流を描いた 「30歳」。

長嶋さんの話は、 読後になんだかやるせなく悲しくなります。

他人に対しても親子兄弟に対しても相手のふところに入ることを故意にせず、 「わかりあえる」 ことを最初から諦めているような、臆病な登場人物が多い印象を受けます。
相手を傷つけることも自分が傷つくことも怖いから取る距離感の中での会話が、時におかしかったり、 せつなかったりします。

それでも、少し相手との関係が縮まった時のちょっとした喜びが書かれていたりするところでは、 余計悲しくなります。

最後にそれが 「思い違い」 や、 「思い過ごし」 だとわかった時の彼らのうつむき加減な姿に、 またまたやるせない気持ちにさせられてしまいます。

彼らはこれからも、傷つくことを怖がって「希薄な人間関係」を 望んでいくんだろうなと思わせるところが、 やたらと悲しいです。

悲しいせつないやるせないと思っていたら嬉しい発見! 
表紙と本文中の挿画が、 漫画家の高野文子によるものなんです。
彼女の「きいちのぬり絵」風の絵が好きなのですが、 この本ではその雰囲気では描かれていなかったのですぐに気づきませんでした。

私が持っているのは、これ↓よりもっと古い発行年月日です。 
あ・・20年以上も経っている・・・・・(古っ)。   

             オンライン書店ビーケーワン:おともだち
  おともだち  高野 文子  1993.11  筑摩書房
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2006年05月19日

5月19日物語 : 結婚は文化


仕事を辞めた元ゲームデザイナーの七郎。 妻は浮気。 妻とは『スープの冷めない距離のご近所別居』 を経て離婚。 七郎の大学時代からの友人でベンチャー企業の社長をしている津田。 津田の友人(?)であるキャバクラ嬢のサオリ。

オンライン書店ビーケーワン:パラレル

パラレル  長嶋 有  文芸春秋
 
別にどうってことのない話なんです。
別にどうってことのない主人公なんです。

それなのにどうしてこんなに読ませるのか。

計算なんかどこにも感じられないのに、 その実、隙がないほど巧い。

もう簡単に感情移入しちゃいました。

今の恋愛がうまくいってないのか、別居してからもタッパーに入れた食べ物を持ってやってくる妻がどうもやり直したいような様子だ。  
でも七郎は、 「知るものか。 彼女が僕を愛さないのは勝手だ。 結婚という契約だからということで仕方なく添い遂げられても嬉しくはない。 ただ、 向こうがうまくいかないからやっぱりこっち、という具合にされるのは嫌だ。 自分の行動に少なくともリスクを背負うべきだ。」 と色気のない正しさを胸に抱いている。

それなのにある夜、 妻が来なかったことでにわかに七郎は心配になる。
ひょっとしてあっちのワンルームマンションで倒れているのではないか。 何度電話しても繋がらず、 心配で眠れぬまま夜を明かし、朝一番の電車で部屋まで行ってチャイムを鳴らす。  応答がなく、 不動産屋にまで電話をする。 「マンション住人の家族だが、 連絡がつかない。 部屋の中でなにかあった可能性があり、 確認したいので部屋を開けてもらうわけにはいかないだろうか。」
ところが。  ところが、なのです。 
ここのくだり、 泣けちゃいました。 

あまりにも居そうで、 あまりにも言いそうなセリフで、 あまりにもわかりやすい心の動きで、 自分の知人の話を聞いているようで、 するすると納得しながら読んでしまったけれど、 ちょっと考えてみれば(まあ、考えてみなくても)、ここに出てくるような人たちみたいな知り合いなんて心当たりはない。   

長嶋有さん、 女性を主人公にしても、 「え、この作家、女じゃないよね。 それなのに、どうしてこんなに女がわかるの」 と感心してしまうのですが。

巧い人は、男を書いても女を書いても巧いのですねぇ。


そうそう、 この話の中にふたつ、 結婚式のスピーチが出てくるのですが、 すごく良いです。  使えそうですが、 使えこなせるかどうか・・・。 
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2006年04月14日

4月14日物語 : 泣かない女はいない


ピサの斜塔は、作っている途中で実は設計ミスに気付いていたのではないか、ということを思う主人公の睦美。
なにか変だぞと思いながらもいちからやりなおしたりせず完成させてしまった。 理性的思考が欠如していたとしか思えない。 それが倒れずに幾百年の歳月を過ごしているというのがまた愉快だ。 細心の注意も、 万事よろしく事を運ぼうとする抜け目なさもなく、 ただ運のよさだけで建ち続けているということに、 なんだかとても救われる気持ちがする。 

こんなふうな出だしで淡々と始まり大きな盛り上がりもなく淡々と終わる話なのだけれども、 途中から不思議と引きずり込まれる。
大宮を走るシャトルに乗って周囲には工場や畑くらいしかないところにある物流会社に勤める睦美には一緒に暮らしている彼がいて、 別に不満に思ってもいないのに、職場の男性に少しずつ惹かれていってしまう。 その気持ちに自分自身で気付いた睦美はいっしょに暮らしている恋人に打ち明ける。  恋人に打ち明けてからではないと、 職場の男性に想いを伝えるわけにはいかないと思うような性格の睦美は、過去にほとんど泣いた記憶のない女性だ。

職場の忘年会で行ったカラオケで睦美が好きになった男性が歌う歌が ボブ・マーリーのNO WOMAN NO CRY
同僚の女の子がどういう意味なんですかと聞くと 「泣かない女はいない」 と答える。 家に帰ってから恋人のCDラックからボブ・マーリーのライブ盤を探し出し歌詞カードを見ると、 ノーウーマン、ノークライの繰り返しのところには 「女 泣くな 女 泣くな」 と出ていた。 

ラスト、好きですと告げようとしていたところに、 彼から転職の話を先に告げられ言い出せなくなってしまう睦美。

No Woman No Cry は、 There is no woman who doesn't cry  を略した言い方なのだから 「泣かない女はいない」 が正しくて、 「女 泣くな」 なんて変な訳しかたよね思いながら読んでいた私は、 うずくまるように顔を落とした睦美の胸にきっと鳴り響いているだろうその曲は 「女 泣くな」 なのだろうなと思った。

主人公といっしょにバックミュージック付きでその場所に取り残されたような気持ちになってしまうのは、 長嶋有の上手さです。

しかし、 ここに入っているもう一編の センスなし も、 以前に読んだ 猛スピードで母はも、 「女ってわかんないよな」と男性に言わせてしまうような女の「わかんないよな」の部分を書くのが上手すぎて感心してしまう。  本当に男性作家なのだろうか?  (本当に男性です)

カヴァー裏に「二人のデート」という掌編が収録されています。

オンライン書店ビーケーワン:泣かない女はいない  泣かない女はいない  長嶋 有著
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2006年03月16日

3月16日物語 : 楽しんでますか


そう、こどもの頃、こどもはけっこうしっかりあれこれ考えていた。
「おとな」という不思議な生き物を興味を持って観察していたし、 大人が居なければ生きていけない事はわかっているうえで、 気を回したり、 不思議がったり、 おもしろがったり、 心配したり、 怖がったり、 バカにしたり、 感心したり、 していた。

少し古いけれど、2002年に芥川賞を受賞した 長嶋有 の 猛スピードで母は を読んだ。

オンライン書店ビーケーワン:猛スピードで母は  猛スピードで母は 長嶋 有著 文芸春秋

猛スピードで母はは、 小学六年生の男の子の目線で、 カップリングの サイドカーに犬 は、 小学四年生の女の子の目線で描かれている。

長嶋有って、女性だと思ってました。
読めば読むほど、男性が書いたとは思えなくて。 
ああ、男性でもここまで女性(母親)の気持ちが書けるんだと驚きました。
長島有のこの二編は、 男性らしさが感じられない。

前々から思っていたことですが、 上手い男性作家ほど、 女性的な要素を多く持っているんではないかなと。 そういう男性作家に主夫や子育てを任せたらきっとハマるだろうし、上手くやれるんではなかろうかと。
すべての女性に母性があるわけではないように、 一部の男性にはかなり母性が強い人がいて、そんな男性が作家になったりすると、女になったり男になったり子供になったりして観察力にすぐれたものが書けるのではなかろうか。
それと同じことが、ひっくり返して女性作家にも言えるように思います。
ジェンダーギャップの少ない人が作家には多いのではないかなあ・・
・・なんてつきこさんは思いました。

この物語ふたつは、子供のもやもやとした不安感や心細さがよく出ていて色んなことを思い出してしまいました。

子供というのは、 無垢で無邪気なんかじゃない。 
無邪気なフリもちゃんとできるほど、 しっかり人間だった。
おとなの弱い部分を見て、 情けながったり不安になったり安心したり。
おとなのたくましい部分を見て、 憬れたり尊敬したり。

近所の人達、親戚の人達、学校の先生も観察するのはおもしろかった。  
だけれども、命を握られている弱みがあるから、親に対しては、 その言動に一喜一憂もするし、 子供としては親にいちばん神経を使った。

母親は今日も居るだろうか、 父親は今日も帰ってくるだろうか、 幼稚園で泥団子を作って、 滑り台の上から転がし、 壊れなかったら、 きっと今日もお母さんもお父さんも居る、 なんてジンクスみたいなもん作ってたなあ。  壊れると、壊れないのが出来るまで作り続けたりして。 なんて思い出した。
両親が別れてしまったのは、 あの日、壊れた泥団子を作り直さなかったからだと、責任やら後悔やら罪悪感を感じてしまったりして。
語彙力がないから、感情の説明ができなかったことが残念。


六年生と中学二年生のわたしの子供たちは、 この母をどんなふうに眺めているのだろう。  生まれた日からずっと一緒に居て日々成長する姿を見ながら、 おもしろい生き物だなあとこちらは思っているのだけれども、 子供たちから見ても、 おもしろい生き物に見えてるんだろうな。
  
そう思うからときどき、ひどく不安にさせない程度で、びっくりするようなことをしてみたりして、楽しませてます。  
とかなんとか言って実はわたしが楽しんでます。
posted by tsukikohime at 23:58| Comment(2) | TrackBack(1) | 長嶋有 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする