2007年05月22日

5月22日物語U: The Black Parade

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ぐちょぐちょこねこねしたあと、
こねた肉のかたまりを
右手と左手の間でキャッチボールのように
パンパンと飛ばす。
このパンパンが大事なのだ。 
これをやって空気を抜く。
そうしないと美味しいハンバーグはできない。
女は思う。 
パンパンパンとマイ・ケミカル・ロマンスは合うじゃないか。 
調子が出る。 パンパンパン・・・。
空気は抜けたか。
女は思う。
曲が合ってるわけないじゃないの。
リズムが合うだけ。
女は思う。
わたしも空気、抜かないと・・。
ほら、6曲目。
I DON'T LOVE YOU
パンパンパン。




  姑息だろうが何だろうが、行動。
  人間は、行動ですよ。

それを言ったのは誰だった?
それを言ったのは 「森のなかのママ」 に出てくる女の子。

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わたしの知っている井上荒野とはぜんぜん違うタイプの
お話で、雰囲気で。
井上荒野と思って読んだら物足りないけど、
井上荒野と思わなければ楽しめたのかな。

もうだめよ。
やっぱり物足りない。
わたしはあれを欲しているもの。
と女は思う。
いつものあの
不穏な空気漂う
胃がもたれるようなやつ。
それが欲しい。 
欲しい。 書いてね荒野さん。


いいかげん肉の空気は抜けたんじゃないか
と、女は気づく。
そろそろハンバーグを焼くか
と、女は思った。

そして女は、認める。
わたしの空気はしばらく前から抜けっぱなし。
女はハンバーグとは違うのよ。

と、女はむりやり結ぶ。
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2007年05月15日

5月15日物語U : 切らないで

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もう切るわ  井上荒野著  恒文社  2001.10.20

なにが切れちゃうのかな。
最初に出てきたミルフィーユのこと?
ミルフィーユは何層にも重ねられたパイのあいだに
カスタードや生クリームが塗られていて
フルーツもはさまっていて
とてもおいしいのだけれども、
とてもとてもフォークでひとくちサイズに切って
くちに運ぶなんて上品な食べ方はけっしてできず、
そんなこと、気のおけない人の前でしかできないのだけれども、
ちょっと手でつかんでいい? と聞きたくなるような
しろもので。
フォークでなんてやっていると、かさかさと崩れて、
このこぼれたものをどうやって食べるの?
でも、食べないのはもったいないし、
お皿にかさかさが散らばっているのも
美しくないし、のやっかいなおいしいものです。

で、 上品ぶって食べていたけれど
ついにいらいらがつのって
「もう切るわ」! とよく切れる包丁をだして
ひとくちサイズに切った。

なんて話ではなく。
そんな話ではなく。
だって、井上荒野的ではないもの。

「もう切るわ」 電話の終わりに。

   「また電話して」
   「うん。 葉は、病気するなよ」
   「うん。もう切るわ」
   あたしは言い、
   「またな―」
   と歳さんは言った。


これが最後の会話となってしまう。


最後のときは、これが最後だとはそのときはまだ知らず。
あとから、あれが最後だったと思い返すとき、
なんて、ドラマティックではない最後だったのだろうと、
なんて、ありきたりな会話だったのだろうと、
あとから惜しんでみても
もう遅い。

KINGYOYA(吉祥寺ハモニカ横丁内) <

かみさまがいて、なにもかも知ってたくせに
どうして教えてくれなかったの
と、つきこさんは思う。  
その度。
もっとかわいく、もっとやさしくしたかった。
もっと忘れられないようにしたかった。

さよならのことばがなければ
さよならではないのでしょうか。
かみさま。
               
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2007年02月25日

2月24日物語U : 潤一を知っていますか


何人もの女が潤一と寝る。
愛にはもちろん恋にも至らず、心を許すわけではなくからだだけをひらく。

うっかり手に怪我をしてしまい、 茶碗を洗うにも髪を洗うにもパソコンのキーボードを叩くにもその傷はひりひりずきずきと響き、思った以上に深い傷は見た目も醜く、日々の生活で気になって不便でしょうがない。

オロナインを塗ってみたり、メンソレータムを塗ってみたり、バンドエイドを貼ってみたり、
潤一と寝てみたり・・。

そんなキズグスリのような潤一。
何年か過ぎて、少しだけ跡が残っている傷を見て、ああ、あんな手当てもしたっけ。 
あの薬の名前は・・、そう「潤一」だった。
あの手当ては効いたのだろうか、どうだったかな。

映子(三十歳)や、環(二十八歳)や、あゆ子(六十二歳)や、美雪(二十六歳)や、千尋(二十九歳)や、瑠依(十四歳)や、香子(四十三歳)や、望(三十八歳)や、美夏(二十歳) たちが、傷跡を見ながら怪我した当時を思い出し、それぞれの言葉で語りだす。

潤一と出会ったのはあの日、あそこで。  

夢想して、でも到らなかったのは六十二歳のあゆ子と瑠依(十四歳)だけ。
きっと未成年やお年寄りには、効き目より副作用のほうが心配されるからだろう。
そこに少しだけ、潤一という男のマトモがあるとみたわたし。

面白い構成だったけど、最後に潤一(二十六歳)も語ってしまう。
それ、ないほうがよかったかな。

しかし一年間でずいぶんたくさんの女性と。

けっこう隠れたヒット商品なのかも。 
どこのドラッグストアで手に入るのかしら。

いや、いまは別に必要じゃないけれど。

                 オンライン書店ビーケーワン:潤一

潤一  井上 荒野著  2003.11  マガジンハウス

                  
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2006年08月10日

8月10日物語U : グラジオラスの耳


何が言いたいのか何を訴えたいのかどうしてほしいのか、 どうすりゃあいいのよ!と、態度がはっきりしない恋人に何も言えないけれどひとり地団駄を踏みたくなるような、 何を悩んでよいのか、 困ってしまった本です。

でも、好きなの。

不思議な作家です、 井上荒野さん。


オンライン書店ビーケーワン:グラジオラスの耳

グラジオラスの耳  井上 荒野著  2003.1  光文社

井上さんの初期の作品を集めたものだそうで、 第一回フェミナ賞を受賞した 「わたしのヌレエフ」 も収められています。  といってもフェミナ賞ってなんだか私は知らなかったのですが。  まあ、賞とかはどうでも良いのですが、 この盛り上がりもトドメもないような話をどうして読ませてくれるのか、 何か怖ろしいことが起こりそうな予感はするのに、何も起こらない。
本を閉じたあと、 何か黒い影を見たような見落としたような。
それはひとえに井上さんの不思議な文章によるものなのでしょう。
後に見られるような (鋭いナイフのような) 兆しが見えます。

冷たくて美しくて何もかも見透かしているようなその意地悪な眼差しが怖い。

想いを寄せてもちょっとはかまってもらえるかもしれないけれど、 絶対幸福感なんて味わうことはできない。  危険な香りのするあなた。

あなたなんかあなたなんか誰が惹かれるもんですか! と思いながらもわたしはいつのまにかその魅力に絡め取られていってしまう。 
あーくやしい。  こうなったら井上荒野、 全部読んでやるぅ!

あ、荒野(アレノ)さんて、 女性です。

この本、ストーリー事態は記憶に残らない感じなんですけどね。
雰囲気。
不思議です。
一度、荒野体験してみてください。 あ、でも井上さんを初めて読むのならこれじゃないほうがいいかな。
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2006年05月18日

5月17日物語 : 銭湯


夫と居ても安らげない。
セックスをしたい時だけ連絡をしてくる不倫相手と居ても、心の居場所がない。

彼らは私を傷つける。 でも、手放せない。

ある日、マンションの給湯設備が壊れ、なつ恵は、銭湯に通うことになる。

松の湯のぬるいほうのお湯に入っている時だけほっとする。

医者に余命いくばくもないないことを告げられたなつ恵は、 夫にも不倫相手にもそれを告げられない。 「わたしは死ぬのよ」 と喉まで出掛かっても言えない。

そんな折、なつ恵は、銭湯の前で (鳩)みたいな青年と出会う。

オンライン書店ビーケーワン:ヌルイコイ

ヌルイコイ 井上 荒野  光文社

夫や不倫相手に自分の重大な病気をなかなか打ち明けられないなつ恵。
認めよう。 打ち明けるのが恐いのだ。 わたしが死んでも死ななくても、 世界は何も変わらないことを、彼らから知らされるのが恐いのだ。

今日も松の湯へと向かう。 ぬるいお湯に入るために。 (鳩)に会うために。


井上荒野の文章は鋭くて冷たくて静かで好きです。
その上、この話はぴたっと私に寄り添ってしまいました。
始まりから終わりまで。

なつ恵さん、(鳩)に出会えておめでとう。

銭湯ね。 たまにはいいかもね。 びんの牛乳とかあるかしら。
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2006年05月05日

5月4日物語 : 美しい妻

昨日の「うつくしい子ども」 の 次は、 「美しい妻」
明日は 「美しい夫」 だろうか?  そんなのあったとしても読まないですね。

美しい妻・・・それも 誰よりも美しい妻です。

オンライン書店ビーケーワン:誰よりも美しい妻

誰よりも美しい妻  井上 荒野  マガジンハウス

主人公の安海園子(33歳)の夫の惣介は著名なヴァイオリニストだ。年齢は園子よりひとまわり上。
どれくらい美しい妻なのかというと、 
妻は美しい女で、 さらにときどき、 ぎょっとするほど美しく思えるときがあり、 「あんたはほんとに美しいね」と、 惣介はしばしば口に出してしまう。 ・・・くらいで。 

ご本人も、
園子は自分を美しいと思う。  今は夏だとか、 今日は雨だとか思うのと同じように、 そう信じることができるのは、 同じ単純さと明白さで、 惣介がそう信じているのを知っているからだ。  美しさなんていうものは、 自分にとって必要なただ一人の男のためだけにあればいいのだと園子は思う。  惣介のように、 手放しで妻の美しさを賞賛する男を夫に持つのは、 なんて幸福なことなのだろう。  おかげでほかの女たちのように、 他人の美しさをねたんだり、 もっと美しくなりたいと渇望することから解放されているのだから。
 ・・・なんて思っている。

「園子を失ったらおれは生きたまま死んでしまう」と信じている夫は、 それとこれとは別物なのだろう、浮気癖がやめられなくて次から次へと新しい愛人を作っては飽きる。

新しい恋が始まりそうな時、 その恋がうまくいっている時、 うまくいっていない時、 なんだかもう別れたくなってしまっている時、 夫の様子で手にとるように今の恋の進行を感づいてる妻なのだが、 気付いてないふりをしてあげている上に、 恋をしている最中の夫の不安定な感情(はしゃいだり、 ふさいだり) を上手にサポートしてあげてもいる。
  
惣介にとって、 妻を愛していることと、 誰かに恋をすることは、 両立することなのだ。  若い教え子たちに栄養をあるものをなどと言って新しい恋人を含む学生たちを家に招いて妻の料理のうまさを見せたがったり、 今日は着物にしたら? などとアドヴァイスして妻の美しさを際立たせて皆(恋人も含む)に感嘆の声を上げさせたりして嬉しそうな惣介。 

いったいこんな男のどこがいいのか、 調子に乗りすぎですよ、 と美しさの自信を持たない私にはわからないのだが。

「私が夫を愛することをやめたら、夫は廃人のようになってしまうだろう。少なくとも、ヴァイオリンは弾き続けられないだろう。それは、それほど夫が私を愛しているからではない。私が夫を愛しているからだ。私が自分を愛し続けることを、惣介は信じているからだ。宗教のように。
そういえば彼はよく言う。『あんたは俺の神様だ』と」

・・などと園子は思っているのだ。

この話はどこへ向かっているのだろうと読みながらずっと思っていた。  自信たっぷりの美しさと愛は、何かをきっかけに崩れていくのだろうか。  そうじゃなければ小説ではない。 
半分くらい読んだところで、 惣介自身が(今回のはどうもいつものと様子が違う、やばいぞ)と思う女に警戒心を抱きながらはまっていきだす。
うんうん、それでこそ小説。 さあ、それでどうなるの。 やっとわくわく。


ストーリーのことばかり書いてしまいましたが、 園子、園子の夫、息子(小学6年生)、夫の元妻、夫の愛人を代わる代わる一人称で語らせそれぞれの登場人物たちの表にあらわれない不安感や孤独感を際立たせる技術と、よく切れる刃のような冷たい輝きを放つ文章にひきずられて読みました。


さて、外見の美しさはともかくも、 夫にとっての「美しい妻」とは 「完璧な母」 と同義みたいですね。 「母港」みたいな。


(「完璧な母」 「母港」 と書いたら、 「岸壁の母」 なんて言葉を連想してしまった自分が情けなくなるつきこさんでした。)
posted by tsukikohime at 01:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 井上荒野 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月08日

3月8日物語 : 生きていく人



フィットネスクラブを舞台に6人の人間を主人公とした連作短編。

女を傷つけて捨てることをなんとも思わない美しい肉体を持つ男
出会い系サイトにはまる37歳の子持ちの主婦
会社を辞め古本屋を始めた中年の男
年老いた母親といつも行動している35歳の娘
尻の軽い受付嬢
妻が失踪したという噂のスイミングコーチ

オンライン書店ビーケーワン:しかたのない水  しかたのない水  井上 荒野著  新潮社

6人それぞれを主人公としたとき、別の話の主人公が脇役として見え隠れする。

彼らを描写する作家の視線は突き放したように冷ややかで、刃物のような文体とマッチして彼らの孤独と喪失感を浮き上がらせる。

石田衣良 の LAST を思い浮かべましたが、 この話には明日への希望や救いが見えない。

失ったものを抱え込み、または失ったことに気付かずに、 ほんの少し壊れているような自分自信と しかたのないようにつきあって生きていかなければならない人間というもの。
ひとつひとつ読み進めていくにしたがって本がどんどん重くなってくるような気がしました。

屋内のスイミングプールの湿った暖かい空気。
見知らぬ人々の無防備な半裸と汗。
開放と緊張。
水圧と浮力間。
反響する音とくぐもった声。
緊張感とあきらめ。

  同じように日々を重ね、 年を重ねているようでも、 人間には、 生きていく人と、
  死んでいく人がいるのだと思う。 〈略) ・・さんと同い年でも、
  私は、 おかあさんと同様、 毎日少しずつ死んでいく人間なのだろう。

井上荒野(イノウエアレノ)のファンになってしまいました。
他の作品はまだ知らないが、
この作品を読むときは精神状態が安定しているときに限ります。

わたしは (生きていく人) でありたい。
posted by tsukikohime at 10:05| Comment(2) | TrackBack(0) | 井上荒野 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする