昨日の「うつくしい子ども」 の 次は、 「美しい妻」
明日は 「美しい夫」 だろうか? そんなのあったとしても読まないですね。
美しい妻・・・それも
誰よりも美しい妻です。
誰よりも美しい妻 井上 荒野 マガジンハウス主人公の安海園子(33歳)の夫の惣介は著名なヴァイオリニストだ。年齢は園子よりひとまわり上。
どれくらい美しい妻なのかというと、
妻は美しい女で、 さらにときどき、 ぎょっとするほど美しく思えるときがあり、 「あんたはほんとに美しいね」と、 惣介はしばしば口に出してしまう。 ・・・くらいで。
ご本人も、
園子は自分を美しいと思う。 今は夏だとか、 今日は雨だとか思うのと同じように、 そう信じることができるのは、 同じ単純さと明白さで、 惣介がそう信じているのを知っているからだ。 美しさなんていうものは、 自分にとって必要なただ一人の男のためだけにあればいいのだと園子は思う。 惣介のように、 手放しで妻の美しさを賞賛する男を夫に持つのは、 なんて幸福なことなのだろう。 おかげでほかの女たちのように、 他人の美しさをねたんだり、 もっと美しくなりたいと渇望することから解放されているのだから。
・・・なんて思っている。
「園子を失ったらおれは生きたまま死んでしまう」と信じている夫は、 それとこれとは別物なのだろう、浮気癖がやめられなくて次から次へと新しい愛人を作っては飽きる。
新しい恋が始まりそうな時、 その恋がうまくいっている時、 うまくいっていない時、 なんだかもう別れたくなってしまっている時、 夫の様子で手にとるように今の恋の進行を感づいてる妻なのだが、 気付いてないふりをしてあげている上に、 恋をしている最中の夫の不安定な感情(はしゃいだり、 ふさいだり) を上手にサポートしてあげてもいる。
惣介にとって、 妻を愛していることと、 誰かに恋をすることは、 両立することなのだ。 若い教え子たちに栄養をあるものをなどと言って新しい恋人を含む学生たちを家に招いて妻の料理のうまさを見せたがったり、 今日は着物にしたら? などとアドヴァイスして妻の美しさを際立たせて皆(恋人も含む)に感嘆の声を上げさせたりして嬉しそうな惣介。
いったいこんな男のどこがいいのか、 調子に乗りすぎですよ、 と美しさの自信を持たない私にはわからないのだが。
「私が夫を愛することをやめたら、夫は廃人のようになってしまうだろう。少なくとも、ヴァイオリンは弾き続けられないだろう。それは、それほど夫が私を愛しているからではない。私が夫を愛しているからだ。私が自分を愛し続けることを、惣介は信じているからだ。宗教のように。
そういえば彼はよく言う。『あんたは俺の神様だ』と」
・・などと園子は思っているのだ。
この話はどこへ向かっているのだろうと読みながらずっと思っていた。 自信たっぷりの美しさと愛は、何かをきっかけに崩れていくのだろうか。 そうじゃなければ小説ではない。
半分くらい読んだところで、 惣介自身が(今回のはどうもいつものと様子が違う、やばいぞ)と思う女に警戒心を抱きながらはまっていきだす。
うんうん、それでこそ小説。 さあ、それでどうなるの。 やっとわくわく。
ストーリーのことばかり書いてしまいましたが、 園子、園子の夫、息子(小学6年生)、夫の元妻、夫の愛人を代わる代わる一人称で語らせそれぞれの登場人物たちの表にあらわれない不安感や孤独感を際立たせる技術と、よく切れる刃のような冷たい輝きを放つ文章にひきずられて読みました。
さて、外見の美しさはともかくも、 夫にとっての「美しい妻」とは 「完璧な母」 と同義みたいですね。 「母港」みたいな。
(「完璧な母」 「母港」 と書いたら、 「岸壁の母」 なんて言葉を連想してしまった自分が情けなくなるつきこさんでした。)
posted by tsukikohime at 01:49|
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井上荒野
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