2006年03月28日

3月28日物語 : 女神か魔性の女か


16歳で直木三十五に抱かれ、 菊池寛、 小林秀雄、 坂口安吾、 川上徹太郎、 大岡昇平、 中原中也、そして青山次郎・・、文壇の男たちに求められ、次から次へと男たちに奪われ続けたムウちゃん。

婚約しては逃げ、 駆け落ちしては駆け落ち先からひとり逃げ帰り、 誘われれば断わらず、 結局は誰のものにもならなくて、 44歳で自死を選んだムウちゃん。

たくさんの男たちに求められるままに体や時間を与え続けても、ムウちゃんには男の身勝手さを確認することにしかならなかったのだろう。 彼らはムウちゃんを欲しがったけれど、ムウちゃんの欲しいものは誰も与えてくれないし、持っていない。 そもそもムウちゃん自身、何が欲しいのかわかっていなかったのだろう。
相手が変わっても、何度確認しても。
だから、もうムウちゃんという女を誰にも攫われないよう、永遠に身を隠したのか。

「ムウちゃんはかかわりのある男や、あった男について話題にすることは一切なかったという。 それは私生活的な話を避けたというよりは、 そもそも彼らに深い関心を持っていなかったように感じられる。」

青山二郎、小林秀雄や永井龍男や、坂口安吾、大岡昇平などの文豪と呼ばれる作家たちがその作品に別名でムウちゃんを登場させているそうだが、真実のムウちゃんに一番近い姿を捉えていたのは、白洲正子や、宇野千代、青山和子たち、女性だけだったのではないだろうか。
妻子や生活があった文士たちは、ムウちゃんを坂本睦子という実名を隠して、事実を自分の都合のよいふうに捕らえて書いた。
小説の中だけでなく実際にも、自分の都合のよいふうに愛していたのだろう。

白洲正子は、 《自殺は、実に見事に、一糸乱れず行われた。 美しい人にふさわしい死に際に、私達は敬意を表するが、 はたしてそれは見掛けほど単純に、 麗しい最期であっただろうか》 と、追悼の文章に書いている。

この時代の文壇の世界に憧れを持っていたであろう久世光彦は生まれるのが数年遅かったからこそ、出会えることができなかったムウちゃんという女のことを書けたのであろう。
ムウちゃん自身が死仕度を進めながら過去を回想しているという形式を取っているこの本からは 久世光彦のムウちゃんへの愛情や、恋の想いが感じられる。
出来るものなら、ムウちゃんに惑わされてみたかったことだろう。

オンライン書店ビーケーワン:女神  女神  久世 光彦

  
posted by tsukikohime at 18:15| Comment(2) | TrackBack(0) | 久世光彦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月04日

3月3日物語 : 桃の記憶


桃の節句を前に久世さんが亡くなった。

今まで読んだ久世光彦の小説の中では  が一番好きだ。
桃をモチーフに濃密な香りただよう8っつの官能的な短編がおさめられている。

5年くらい前に向田邦子にはまっていた時期があり、 向田邦子を読み漁ると必然的に久世光彦にたどり着く。

久世さんが書いた 触れもせで、 向田邦子との二十年 を読むことになり、次に久世さんが書いた小説に手を伸ばす。

2週間ほど前に図書館で18冊借りてきたなかに 久世光彦の 飲食男女 おいしい女たちもあって、つい数日前に読んだ作家が突然この世からいなくなるのは不思議な気持ちだ。

飲食男女は〈おんじきなんにょ〉と読ませます。

プロローグに

  《女を食べる》と言うと、何だか品がないようだし、 
  食べられる方は気味が悪いだろうが、 
  この歳になるとそんな表現がいちばん 《感じ》である。 可愛いし、
  いい匂いがして、おいしい。
  女にかぎらず、食べることは色っぽいことだと思いはじめたのは、
  ここ数年のことである。
  たとえ生きるだけのために食べるのだとしても、飢えていることだって
  色っぽいし、 空ろなものを充たしたいと希うことは、もっと色っぽい。
  味わうという言葉も、 口に合わないという言い方も、
  考えてみれば男と女の味がする。
  若い人と年とった人の好む物の違いや、 食べ方、 飲み方の違いだって、
  こじつけではなく、 色の道に通じるところがありそうだ。

と書いてある。

《ここ数年のこと》 と書いてあるが、この飲食男女が出版されたのは、平成15年。 久世さんが60代の後半に書いた文章なのだ。

久世さんはいつまでも色っぽい。      飲食男女 文藝春秋

しかし 「食べることは色っぽい」 とは、 すでに私は感じていて、 では私はずいぶんと年を取ってしまったのかしら? などと思いながら読んだ。

この中に 悦っちゃんのジャム という話があり、 5歳のときに「ぼく」の家に預けられていた親戚の16,7歳の女の人とお風呂に入る 「秘密の楽しみ」 があったという。 早熟ね、と思うのだが。  その早熟な久世さんより若いうちから、 「食べることは色っぽい」 と感じるわたしって・・。
いや、飲食と官能を組み合わせて書く小説家はたくさんいる。


プロローグ、エピローグを抜かして17の短編が入っているが、これはエッセイなのかと思ってしまうほどで、多分かなりご自分の女性経験をもとにして書かれたものなのだろうなと思う。

すべて「ぼく」 の語りで書かれているからなおさらなのだが、 「ぼく」 の年齢が時代と合っているし(合ってないのもあった)、 久世さんの 少年時代からいくつか移り住んだ地名も合っている。

だから久世さんと久世さんがかかわった女性たちとの遍歴の告白みたいだなという印象を受ける。

若いころからずいぶん女性との浮名が絶えない人だったらしいが、これだけその「景」を覚えていて小説に書いてもらえば女性も本望ではなかろうか。  でも彼女たちは他の女性に妬くのだろうか。

この中の 春の蕎麦 という話の中にこういうのがあった。
人形屋をやっている友人に久しぶりに会ったら、その友人が落ち込んでいる。 どうしたのかと尋ねると、 去年の暮れ辺りから訳ありだった女が3人、立てつづけに死んだという。

  ぼくなんか、彼の足元にも及ばないが、 それでも60何年も男をやっていれば、 
  それなりの浮いた話や、辛い話はある。 
  (・・・略・・・) 死んだふりをして自分の偽葬式を出し、 棺桶に穴を開けて、
  そこから次々に弔問に訪れる女たちの様子を覗いてみたいとは考えても、
  ほんとうに自分が死ぬとは思っていないのだ。 
  だいたい、 女たちがみんなして涙に暮れるなんて、 それは愚かで
  いい気な夢物語で、 人形屋の通夜にも、 ぼくの葬式にも、 彼女たちは、
  たぶん一人も現われない。


告別式は今月7日に執り行なわれるそうだ。

前日までお元気で2日に亡くなった70歳の久世さんは、 訳ありだった女たちが何人弔問に訪れるかを、 どこからか嬉しそうに覗いてみているのではないだろうか。

もっと書いてほしかった。  合掌。

 
posted by tsukikohime at 02:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 久世光彦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月24日

7月22日物語 : 桃

 
本は宝物だ。 すでに家には無くても、借りたものでも、既に内容さえ忘れてしまっているものも、読んでしまった本は、全て宝物だ。 私をつくりあげる一部になる。

昨日、あのひとにもらった本は、もっと別の意味での宝物。 書棚に置くものではない種類に感ずる。 それは、今まであのひとが私にくれた、ネックレスやバッグ達と一緒に置いておきたかった。

月に関する本は、ずっと避けてきた。 何か、私自身の秘密が書いてあるようで、怖い気がする。 知ってはいけないことが、書いてあるような。 月に関するスピリチュアル的な本を読んでしまうと、私は確信犯になるのではないか…。 自分の気持ちのままに行動することが出来なくなるのではないか…。
 
私は数ページ読んで閉じた。 彼も内容を知らずに買ってくれたものだ。 書籍としてではない宝物として、大切に取っておこう。そして時々取り出して、表紙に触れる。

でも読みたくて仕方がない。

先週、友人から渡された紙袋の中身を全部空けて、数十冊の本を眺める。
 やけにしっとりとした女性が描かれた美しい表紙が目を引く一冊を取り出した。
  久世光彦
。 向田邦子とともに、いくつかのドラマを手掛けた人だ。  これはまだ読んだ事がなかった。
まだ比較的新しいものだろう。
短編が8つ。
 
気がつけば、昨日の記憶を反芻してばかりで家事がはかどらなかった私は、中の短編をいくつか読んで、一旦別の世界に行って帰ってこなくては、食事の支度も出来そうもない。
 
効き目はあるかしら。 無理かな。 でも久世さんの書くものだし、タイトルからしても私の記憶をかえって掻きたてそうな気もするのだが。   
読みましょ。
posted by tsukikohime at 02:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 久世光彦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする