「やるやる、蛇やる! 私にやらせて! 蛇は私が担当するから!」
皆が振り向いたけれど、 すぐに合点のいった顔を戻した。
役員長が言った。
「2人1組だからね、どうしてももう1人必要なのよ。」
「私、なんでもします。 園庭中の糞の片付けも全部します。 だから蛇だけは勘弁してください!」
「私は全員が使った軍手もエプロンも全部洗います。 だから蛇の担当にしないでください!」
「お願い、本当にお願い、蛇はダメです。 怖いんです。 絶対ダメです。」
皆が口々に懇願する。 幼稚園にやってくる「移動動物園」のお手伝いをしなくてはならない役員たちが集まった会議室が、がやがやきゃあきゃあ収拾がつかない騒ぎになってしまった。
「蛇、蛇言わないでよ! さっきから鳥肌たって仕方ないじゃないの!」
役員長が大きな声で怒鳴ったので、全員が静まり返った。
これで、役員長も蛇が苦手なことがわかった。
「蛇、可愛いじゃない。 どこが嫌なのかしら?」 先ほどの彼女が言って、皆がため息をつく。
私は、隣に座っている彼女に小さな声で訊ねた。 「蛇って噛む?」
「幼稚園に連れてきて園児に触らせるのよ、牙は抜いてあるでしょ。」
そうよね。
役員長が大きくため息をついて提案した。 「アミダにする? 皆が苦手なんだもの、それが一番公平よ。」
「でも、くじに当たっても私、絶対触れないです」
「私も」
「私だって無理です」
はあー、どうしよう、これじゃ会議が終わらない。
「私、やります」 言ってしまう。
「はい! 決まり! つきこさん決定」 即決だった。
こういうときにありがちな、「え、いいの?」という儀礼の言葉もなく。
他の、ポニー担当やひよこ担当やヤギ担当などを決める為に役員会はスムーズに動き出した。
隣の彼女が嬉しそうに聞いた。 「つきこさんも蛇が好きだったのね?」
「いえ、好きとか嫌いとか考える機会が今までなくて。 それに触ったこともないから」
「嫌いな人はね、 触らなくても嫌いなのよ。」
「どんな感じ?」
「そりゃあもう最高。」 彼女はうっとりと言った。
蛇は、思っていたより大蛇だった。 まだら模様のニシキヘビ。 太いところで直径4cm位、長さは150cmくらいで、ずっしりと重たかった。
少し、ほっとした。 白くて細くて短いやつだったらダメだったかもしれない。
園児たちには盛況だった。 沢山の子達が並ぶ列を乱れないように指導しながら、「移動動物園」からやってきた人たちと一緒に働いた。
蛇好きの彼女は首にニシキヘビをかけたまま 「はいはい、次、君ね。 触るだけ? 首に巻き付けたい?」 「はーい、押さないでー、 押すと、蛇踏んじゃうよー」 と嬉しそうに働いている。
我が子をカメラに納めようと見学に来ている母たちの中には、蛇の列に並んでいる我が子を列の外に引っ張り出す人も居た。 「だめ、蛇なんか触らないで」

蛇はひんやり冷たいのかと思ったらそんなことはなく、温かくて。 ざらっとしているのか、はたまたぬめっとするのかと思ったら、すべすべさらさらしていた。
「ね、気持ち良いでしょ?」
「想像していたのとは全然ちがいました」
でも、一度で充分。
数珠屋「カナカナ堂」に勤めるサナダヒワ子さんは、蛇を踏んでしまった。
蛇は柔らかく、踏んでも踏んでもきりがない感じだった。
「踏まれたらおしまいですね」と、そのうちに蛇が言い、 それから
どろりと溶けて形を失った。 (本文より)
蛇を踏むのは嫌だなあ。 蛇じゃなくても生き物を踏むのは恐いなあ。
「踏まれたのでは仕方ありません」
今度は人間の声で言い、私の住む部屋のある方角へさっさと
歩いていってしまった。 (本文より)
夜、部屋に戻ると、50歳くらいの見知らぬ女が座っていた。
「おかえり」と言っていそいそと箸や茶碗を並べて食事の世話を始める。
さては蛇だなと思うが、いっしょにビールなど飲んでしまう。
「今日は仕事遅かったのね」
「甲府に行ったから」などとつい返事をしてしまうが、 「あなた何ですか」と聞く。
「ああ。わたし、ヒワ子ちゃんのお母さんよ」
川上弘美の登場人物は不可思議な現象をすぐ受け入れてしまいます。 少しは抵抗も試みるのだが、 「ああ、そういうもんなのかな」と慣れてしまう。
これは
蛇を踏むという話だが、一緒に納められている
消える という話の出だしは、
このごろずいぶんよく消える。
いちばん最近に消えたのが上の兄で、
消えてから二週間になる。
消えている間どうしているかというと、しかとは判らぬが
ついそこらで動き回っているらしいことは、 気配から感じられる。 (本文より)
この話でも「家族の誰かが消える」ことをすんなり受け入れてしまっている家族が出てくる。
昔、曾祖母も消えたことがあるそうだ。 そしてこの家にお嫁にやってきたヒロ子さんは小さくなってしまう。 ひゅんと音をたてるようにして収縮してしまう。
日に日に縮むばかりのヒロ子さんは小さすぎて台所仕事が出来なくなって、畳の部屋の掃除を朝から晩までする。 小さな箒で朝から晩まで掃いても、掃き終えると夕方になってしまう。
ヒロ子さんの後始末はかんたんに行われた。 (本文より)
すっかり縮んで芥子の実ほどになったヒロ子さんを潰さないように、ガーゼを敷いたガラスの入れ物にしまってヒロ子さんの両親のもとに返されることになったのだ。
私はヒロ子さんに同情しました。
最後の
惜夜気(あたらよき) の出だし。
背中が痒いと思ったら、夜が少しばかり食い込んでいるのだった。
まだ黄昏時なのだが、背中のあたりに暗がりが集まってしまったらしく、
密度が濃くなったその暗がりの塊が、背中に接着し、接着面の一部が
食い込んでいるのだった。 (本文より)
川上弘美の作中の登場人物のように、 「ああ。そんなものかな」 と読んでいるうちに受け入れてしまう。
物語が蛇のようにぐるぐると身体に巻きついて囚われてしまう、そんな本でした。

蛇を踏む 川上 弘美著 1999.8 文芸春秋