2005年10月05日

10月5日物語 : 五月にある人は言った

「この本にうちのダンナさんがちょこっと登場するよ。」 と言って友人が 東京タワー  オカンとボクと、時々、オトン を貸してくれた。

そういえば、彼女のご主人はリリーさんと仕事が縁の遊び友達だと言っていた。

今日はリリーさんと飲みに行っている、今週はリリーさんとスキー旅行に行っているなどと聞いて、最初、リリーさんというのはどこかのオカマバーの踊り子さんかなにかと勘違いした私は、友人の太っ腹に感心してしまった。

「どこにダンナさん出てくるの?」

「ここ。」


泣くほどの感動を得るのが目的で本を読んでいるのではない。

かえって 「泣きます!」
 
「涙が止まりません!」
 
「これを読んで泣かない貴方は鬼です!」 (・・ なんてないか。)

などと大々的に宣伝文句が帯に出ている本は、 「どう感じようと読んだ人の勝手でしょ!。」

と反発してしまって、手に取りにくくなってしまう。

そんなふうに宣伝されているのに、感動しなかったり涙が出なかったりすると、 

「私は、鬼か・・・。」(そこまでは言ってないってば。) と思ってしまうではありませんか。

実際は思わないんですけど。 

で、この友人が貸してくれた リリー・フランキー の 東京タワー は、
 
「帯、付いてたけど、どっかいっちゃったー。」
 
というズボラな友人のお陰で、帯なし状態で読むことができたので内容についてはなんの先入観も持たずに(持たされずに) 読むことができました。

リリーさんは、言葉を選ぶセンスが独特です。  多分、選んでるのではないと思う。
  
リリーさんの感じ方に見栄とかプライドとかがなくて、その感じたままに当てはまる言い回しが、リリーさんならではの言葉のセンスやユーモアになっているのだと思います。

頭をひねって出した言い回しではないんだろうな、と。
時々、ブラックなんですが、 私はそういう感じ方が好きなので。

久々に 小説を読んだー! という満足感でした。

始まり方も私好みだし、子どもの頃のエピソードもおもしろいし、 思春期から青春時代のお恥ずかしさも哀しさも曝け出し、

「転がりながらも胸躍らせて、不安は期待が押さえ込む。 根拠のない可能性に心惹かれ」て 東京に出て来る。

そしてすぐに気付く。
「東京に行けば、 なにかが変わるのだと。 自分の未来が勝手に広がってゆくのだと、 そうやって、 逃げこんできただけ」 だったと。
 
自分のしょうもない生活態度に嘆きながらとことん落ちていく。 
もがきながら諦めながら ルーズな日々に慣れていく自分をいつも冷静に見ている自分。 
いつも”オカン”のまなざしを背負いながら恥じている。


あれ? そういう話って、昔からたまにあるね。  新しくはないテーマです。 でも言葉が新しい。 それと、 ”ボク”の言葉で語られていますが、 これは ボクがメインの話ではなく、 
オカンとボクと、時々、オトン の話です。

福岡県の小倉出身だから随所に出てくる会話がその地方の方言です。  会話以外は標準語で書かれていますが、 最後の3ページ程は オカンに語りかけているので、福岡の言葉になります。

もうね、それが・・・、その語りかけが、たまらない。

たまたま昨日の朝のテレビにリリーさんが出ているのを見ました。  読んだ直後でグッドタイミング。

「この本ね、一番泣いたのは、 俺。」 と 言ってました。

泣きながら書いたんだろうな。  書きながら泣けちゃったんだろうな。

気になるのは、 所々に出てくる  

五月にある人は言った

の文。  これがこの小説のセンスを一段と上げている。

でも、 ”ある人” とは、誰でしょう・・・?

わかった人は、教えてくださいね。

オンライン書店ビーケーワン:東京タワー


 
posted by tsukikohime at 21:24| Comment(4) | TrackBack(3) | らりるれろ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする