2006年09月11日

9月11日物語U : 最後の家族


2001年第1刷発行。
時代の流行に敏感に反応しやすい村上龍さんの取り上げたものは、 ひきこもり、DV、 リストラ、 妻の不倫、 家族崩壊。

「家族について書かれた残酷で幸福な最後の物語」 と帯に書いてあります。

「いやぁ〜、 それほどでもぉ」 などと私が照れてしまうのも、なんですが。

オンライン書店ビーケーワン:最後の家族

最後の家族  村上 龍〔著〕  2003.4  幻冬舎


えーと、けっこう甘いお話に感じてしまいました。 残酷ってほどではない。  


崩壊、崩壊というけれど、 家族がお互いに依存してくっつくことを辞め、 それぞれが 「個」 として生きなおすというとても素晴らしい終わり方でした。

「個人」として生きさせてもらえず、 「家族なんだから」と、 無理やり押さえつけられるところに不幸の種があったりする・・なんて思うので、 この話の家族は、 最終的には(といっても、娘はまだ高校3年生、 息子は22歳) 自分の夢や進む方向を見つけてそれを親からとくにあれこれ言われないし、 この年で将来の夢やなりたいものを見つけられるのだってたいしたもんだし、 妻だって夫から家を売ったお金の半分をもらって自分にあった仕事を見つけ恋人とハワイに行ったり、 夫もリストラ後に故郷で大好きな珈琲と毎日付き合うことができる喫茶店を開くという、 なんかけっこうみんな良かったじゃない! なお話でした。

ストーリーは甘かった。 5年前のものだから、慣れてしまった題材だからかな。
慣れたといっても、 深刻さは5年前も今も変わらない題材だけれども。
同じ時間を家族それぞれの視点で書くという構成はおもしろかった(けど、そうゆうのって、あるよね)。
でした。

村上龍さんて、すごい傑作と、そうではない時の差が激しい気がします。
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2006年08月25日

8月24日物語U : 親への手紙


「日本一醜い親への手紙」 
冗談みたいなタイトルですよね。 
「日本一短い母への手紙」 のような本は何種類か似たようなものは本屋で見かけたことはあったのですが。 
帯に  「あなたは今でも知らないはずだけど、 僕は金属バットを持ってあなたの枕元に立ったことがあるのです」  という文章が出ていて、 これは、なにかパロディのようなおふざけ本かなと思って手に取って開いて読み出したら止まらなくなってしまい、105円(ブックオフで)だったしそのまま買ってきました。

オンライン書店ビーケーワン:日本一醜い親への手紙

日本一醜い親への手紙 Create Media編 1997.11 メディアワークス

9歳から81歳のこどもたち100人からその親への手紙100通です。
2行だけのものもあるし、 長いのもある。 
100編の短篇物語みたいでした。 しかしフィクションではないのです。

10代、20代、30代、40代・・80代。
いくつになっても、 その親の前ではその人たちはその親の子であり、 子が親から受けた悲しみや怒りは時が経っても消えないんですね。
一番愛してもらいたかった人に愛してもらえなかったどころか、精神的苦痛や肉体的苦痛を与えられ、 「この世に生を与えてくれた親を悪く言うなんて」 という幸せに育った人々からの非難の目に傷つき、 「こんなに親から酷い仕打ちをされるのは、 自分が本当に悪い子だからだ」 と自分を責めてきた人々の、 ついに吐き出すことが出来た言葉。

寄せられた手紙の8割が女性からで、 その中には性的虐待を親や兄弟から受けた人が多かったのは、 少々驚きました。

この本に悪趣味のイメージがつかないように、 本書の趣旨を誰よりも理解してくれると思われた3人の著名人に、 集まった手紙を読んでもらい感想文を書いていただいた、とあとがきにかえて書いてあるが、 その3人は、 信田さよ子(臨床心理士で、著書に「アダルトチルドレン完全理解」)、 町田康(作家、「くっすん大黒」「告白」「浄土」など)、 林葉直子(棋士、作家)。

ひょんなところで、 大好きな町田康さんの文章が読めて嬉しかった。 つい言いくるめられてしまうノリの良い文章です。

さて、 これを募集したところ予想をはるかに超える何千通もの反響があったそうで、 この本の最後に第2弾のための原稿募集のお知らせが載っていました。
ただし、 これは1997年の発行ですので、 それらの原稿はもう集まっていて 
「もう家には帰らない さよなら日本一醜い親への手紙」 と 虐待してしまった親が書いた「子どもを愛せない親からの手紙 」の2冊となってすでに出版されています。


書くという行為自体も、また本になったことによっても、 親に苦しめられたことや、 親を憎まなくてはならない理不尽な怒りや、 親を大切にしなくてならないという世間の常識への罪悪感など2重3重の苦しさを持った人々が大勢居るということを知ることができて、ずいぶん気持ちがラクになったのではないでしょうか。 
私はこの企画は素晴らしいと思いました。
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2006年07月07日

7月7日物語U : あるのよ。

オンライン書店ビーケーワン:ラスト・ワルツ

ラスト・ワルツ  盛田 隆二〔著〕  2005.3  角川書店


小学生の時、 留守番をしていてひとりこっそり日活の映画の再放送をテレビで見てどきどきしたあの気分を思い出してしまった。

大人になったらあんなふうになるのね。

「酒場」 や 「ダンスホール」 で、「楽団」 がバックで演奏していて、
「煙草の煙」 がもうもうで、 天井に「ミラーボール」 がくるくる回っていて、
「石原裕次郎」 のように苦みばしった男がいて、 「浅岡るり子」 のように足が美しい私がいて、 邪魔なのにいつもバッグをひじのところにかけていて、 
時々「アロハシャツ」 を着たガラの悪いにいちゃんがからんできて、 
よく見ると 「愚連た弟」 もその仲間にいて、 
美しい姉は 『馬鹿っ!』 と弟の頬をたたき、 
ふて腐れた顔つきの弟は、 まだ幼さを残した目もとで、 
『ちっ! 行こうぜ!』 と捨て台詞を吐いて酒場から出て行く。

場面は 「夜の波止場」 に変わり、 頭にネッカチーフをした 「北原三枝」 にいつのまにかなっているわたしは、 
『おまえには、この世界は似合わないぜ』 という男に 
『なぜ? なぜなの?』 と 食い下がり、 なぜだか 『見損なったわ!!』  
と叫んでハイヒールの音も高らかに去っていく。
男は、 覆った手で港の風を防ぎながら煙草に火をつけ、 暗い海を見る。
するとたくさんの乱れた足音が近づき、 暗闇に一発の銃声が・・・。

いくつもの再放送日活映画を時代錯誤したまま、 ストーリーも俳優も混ぜこぜに、 印象に残った映像だけが脳裏に焼きつき、 

「で、できるかな・・、わたし。  大人になれるかしら・・・、 大人になったらあんなふうな男女関係が待っているのかしら・・・。  うまくこなせるかどうか自信ないけれど、 きっと大人になりさえすれば、 こなせるのようになるのね。 それが大人ってことなんだもの・・。」

と、大きな不安と少しの期待で幼い胸を痛めていた。


ラスト・ワルツ を読んでいたら、 「え、大人になってするレンアイとやらは、 こんななの?  
・・・できるかしら。 私、とっても不安・・」  
と、ふたりの子持ちのわたしが、 小学生のつきこさんにフィードバックしてしまった。

んなわけはないのに。

時代はヒッピーが手書きの詩集を路上で売っている頃。
ある男と他人のままつながっている証に、 首に犬の首輪をつけたまま、 上京したての10歳年下の18歳の男を家に寝泊りさせ関係を持ったり、 日常的にマリファナ吸ったり、 シャブを打ってセックスしたり、 SM裏ビデオに出演したりしながら子供を育てる花菜子。
12年後、 結婚して一児の父になって会社勤めをしている主人公のぼくは、 ばったりあの年上の花菜子さんと会ってしまい・・。


昔の日活映画の世界も、 ラスト・ワルツの世界も、 私が生きている世界とは異質の世界だけれでも、 それって絵空事ではなく、 この東京には本当にある世界なのかも。

『ラスト・ワルツ』 は 『夜の果てまで』 『サウダージ』 に続く “恋愛三部作” のひとつなんだそうです。

『夜の果てまで』 は読んでいる最中、 はじめのうちはピンとこなかったのですが、終わりに近づくにつれ、じわじわぐんぐん感動が押し寄せてきた覚えがあります。
わー、 これってかなり後味が残る小説!  食べ終わったあとにいつまでもそのおいしさが思い出されてしまうし、 布団に入ってからも反芻して味わいたくなる小説でした。 
『ラスト・ワルツ』 も印象深い味ですが、 『夜の果てまで』 ほどの感動は残さなかったです。

そしたらね、 執筆された順番と世に出た順番が逆だったそうで、 『ラスト・ワルツ』 のほうが処女作なんだそうです。

それならわかる。  『ラスト・ワルツ』 よりも 『夜の果てまで』 のほうが、 ずっとうまみが強い。

あとがきに書いてありましたが、 『ラスト・ワルツ』 は、 盛田隆二さんの実体験がかなり織り込まれているそうです。


やっぱり、あるんだ・・・、 そういう世界。
あるとは思うけど。 
・・・あるんだ。
フィクションもノンフィクションもたくさん読んでるから、わかっているんだけれどもね。
 
・・・あるんだ。  じゃ、日活もあり、か。


七夕だっていうのに、 ブログ一周年記念日だというのに、
なんか納得いかない記事を書いてしまった。
 
posted by tsukikohime at 10:10| Comment(2) | TrackBack(0) | まみむめも | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月12日

2月12日物語 : パターンを超えて


オンライン書店ビーケーワン:夜の果てまで夜の果てまで 盛田 隆二〔著〕 角川書店

北大の学生と12歳年上の人妻との恋愛。

ハッピーエンドは望めなさそうな設定だな。 それに好きな組み合わせの恋愛ではない。

新聞社に就職することも内定し、卒論に取り掛からなくてはならないというのに人妻との逢瀬にずぶずぶ溺れてしまったのか、夫に見つかってしまって家を出るという彼女と東京に駆け落ちをしてしまう。

あ〜あ、駆け落ちしちゃったの?  私は映画 卒業 のラストシーンのダスティ・ホフマンの 「花嫁を奪っちゃったけれど、で、このあとどうなるんだろう僕たち」 みたいな、けっして幸せの絶頂に居るとは思えない顔を思い出した。  

セックスだけじゃないんだ、本当に愛しているんだ、錯覚ではないんだ。 そんなふうに思い込みたくて、彼女に証明してみせたくて意地になって駆け落ちに踏み込んでしまったのだろうか。

あーあ。

なんか先が読めちゃいそうです。  きっとお金も尽きてみじめな生活になってきてふたりは喧嘩が絶えなくなって、 手っ取り早くお金になる水商売に彼女は働きに出て、 嫉妬心からまた喧嘩が始まり、 生活に疲れ果て、 結局は彼女は夫の元に戻り、彼は大学に戻り就職をし、そして新しい恋愛をし、結婚し家庭を持ち・・・。 そしてふと若い頃に体験した大騒動を思い出す。 「ふっ・・若かったんだな」  

そうなるに違いない。 そんなよくあるパターンになってしまうのだろう。 そんなの読みたくないなあ。

途中で放り出さなかったのは、女性の夫の前妻の子・・中学3年生の男の子がとても魅力的に描かれていたからです。 その男の子のおかげです。

感謝。 最後まで読ませてくれて。 君のおかげで物語はぐっとおもしろくなったし、二人は想いをまっとうすることが出来たのですよ。

そして恥じた。  なんでしょう、私の想像力ったら。 パターン化されてるのは私のほうだった。

読み終わってうなってしまいました。 しばらく動けなくなり何度かページをめくって読みなおしてみたり。  冒頭のシーンは何回も何回も読んでしまった。

この小説のラストの日付は、1991年2月28日。
そして冒頭は1991年3月1日に失踪してしまった妻との婚姻を解消するために申し立てられた「失踪宣告申し立書」 で始まる。

この構成です。

この構成があるからこの小説の魅力がぐんと引き上がったのです。

これがあるから、 読み終わってしばらく 「うーん」とうなってしまうのです。  

「著者会心の最高傑作」 だそうです。

この作品はもともとは 「舞い降りて重なる木の葉」という短編だったそうだ。 それを長編に書き直し、 ’96年7月から’98年2月まで 夜の果てまで というタイトルで月刊カドカワに連載し、 その後 ’99年4月に 湾岸ラプソディ に改題し、大幅な加筆を加えたそうです。 それからまた ’04年に 夜の果てまでと言うタイトルに戻し文庫化(角川文庫)されているようですね。

著者自信、この作品にかなり入れ込んでいる事が窺えます。

確かに感動してしまった私ですが、一日たって冷静に思い起こしてみると、大筋としてのストーリーの流れは私のつまらない想像とほとんど同じでしたね。


2月9日物語で紹介した奥田英朗空中ブランコの中に神経科の医者、伊良部と患者の女流作家の会話の中でこんなのがあった。

「小説って、どうやって書けばいいわけ?」
「思ったことを、正直に。 ただし客観的に」
「筋はどうやって練ればいいわけ?」
「それより描写。 大事なのは人間を描くこと」

なあるほど、 ありきたりのストーリーでも人物描写によって小説も生きるものなんだな。

それと構成なんですね。

「はじめ良ければ終わりよし」 と言いますが、 「はじめ良かったのに途中でがっかり」 や 「はじめ良かったのに終わりだめ」 にがっかりする小説がよくあります。

夜の果てまで/湾岸ラプソディ は、「はじめが良かったから終わりが良かった」 もしくは 「始まりと終わりがセットでひとつになって、良かった」でした。


オンライン書店ビーケーワン:湾岸ラプソディ 湾岸ラプソディ 盛田 隆二著 角川書店
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2006年01月16日

1月16日物語 : 不道徳教育講座


一昔前の今は亡き小説家のものを少しずつ再読しよう。

エッセイにはがっかりすることが多いから、エッセイを読む暇があったら小説を読もう。

・・とつきこさんは言った。


変なことをしてしまったなあ。

「一昔前の今は亡き小説家」の「エッセイ」を読んでしまったわ。

でも、○○教育講座とタイトルにあるから、これはエッセイではなくて講座なんだわ。
うんうん。

しかし、どう考えたって、小説ではないわよね・・。


そもそも エッセイとはなんぞや。

@ 随筆。 自由な形式で書かれた思索的色彩の濃い散文。

A 試論。 小論。

と広辞苑に出てますね。


ほとんどのエッセイは毎回、主題が変わり、徒然なるがままに見聞き思うことを述べてあるが、これはある種の教育論が主題なので、私が想像していたところのエッセイなるものとは違う気がする。
違う気がするけど、やっぱりエッセイですね、はい。

不道徳教育講座

目次を見ておもしろそうだったので図書館で借りてきました。

いくつか挙げてみますと、


・ 知らない男とでも酒場に行くべし

・ 教師を内心バカにすべし

・ 大いにウソをつくべし

・ 人に迷惑をかけて死ぬべし

・ 流行に従うべし

・ 罪は人になすりつけるべし

・ 沢山の悪徳を持て

・ 小説家を尊敬するなかれ

・ 性的ノイローゼ

・ 肉体のはかなさ

・ 恋人を交換すべし

・ おわり悪ければすべて悪し



・・と、70章あります。

今は亡き・・とは、 三島由紀夫です。

こういうものも書くとはちょっと以外な気がしたのですが、 当時、 石原裕次郎が異端児&アイドルだったように、三島由紀夫も、文学界の異端児&アイドル的存在だったのではないかと想像します。

これは、昭和33年に、「週刊明星」に連載されていたものを、昭和34年に中央公論社から単行本で刊行されたそうで、作者はこの時、34歳。
週刊明星というのは、映画界やテレビ界、歌手など芸能人の写真や記事が散りばまれている雑誌だったんですよね。 よく知らないのですが。 
今で言うと、 えー、今で言うと・・ん? なんだろう? あるの?そういうの。
そして昭和45年(1970年)にあの事件が起こるんですね。

自衛隊の市ヶ谷駐屯地に乱入して割腹自殺して首がどさりと・・。


読んだ感想はですね、うん、おもしろかった。  ロカビリーとか太陽族とか死語がたくさん出てくるのは時代を感じさせますが、 

DVC00003.JPG

昔も今も、世間てあまり変らないんだなと思いました。


その変らぬ世間の偽善的な道徳に対して、逆説の方向から毒を含んだ言葉で攻める。 
断定的に書く。 潔く決め付ける。

「・・・らしい」 とか「・・・かもしれない」や、「・・じゃ、ないかなあ」 なんて弱腰は見せない。

この講座を雑誌に掲載している間にも、それ以前にも、本気で怒ってしまったオトナからお怒り、お叱り、「言いたくはないけれど・・」、「余計なお世話かもしれませんが」の類の手紙がずいぶんと三島由紀夫のもとに届くそうで、それに対してもこの講座の中で、「無名で出すような手紙には、私信を公開してもかまわぬと思い、このままお目にかけます。」 と全文を載せてしまい、 皮肉を込めてあしらってしまっている。 その章のタイトルは うんとお節介をやくべし 

小気味良いです。

小気味良いです。  小気味良いのが70章あり、週に一度読んでいた当時の読者は楽しみだったかもしれないけれど、 まとめて70章を読んでしまうと、いけませんね。

三島由紀夫の精神はある意味一定しているのだろうか、最近の作家のエッセイに見られるような、 今日お財布を落としたからむっとしているとか、 さわやかなお天気だし嬉しいことがあったからうきうきしているなどの、気持ちの揺らぎがないのである。 私生活で何があろうと、原稿用紙に向かうと 「俺は文豪・三島由紀夫」にきちっとなるのでしょうね。

講座と決めたからには講座らしく。 三島由紀夫らしく。 毎回、ハイテンションな勢いのまま文体もオチの持って行きかたも同じなので、まとめて読んでしまうと飽きてきました。

一章2分で読めるとして、起承転結、起承転結、起承転結、起承転結、起承転結・・と、70回も2分毎に繰り返されるんだもの。

もし読む機会がありましたら、まとめて読まないほうが効き目がありますよ。
そしてまだ三島由紀夫の小説を読んだことがない場合は、小説から行ってほしいと思います。

現在、文庫で再販されているようですが、そちらの写真はありませんでした。

オンライン書店ビーケーワン:不道徳教育講座  不道徳教育講座 三島 由紀夫〔著〕 1999.9 角川書店
posted by tsukikohime at 19:20| Comment(6) | TrackBack(0) | まみむめも | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月11日

1月11日物語 : 瀬名垣&真志喜


タイトルと表紙のかわいらしさに惹かれて手に取り、数行読む。


     その細い道の先に、オレンジ色の明かりが灯った。  
     古書店『無窮堂』の外灯だ。
     瀬名垣太一は立ち止まり、煙草に火をつけた。

よし、買い。


月魚 三浦しをん著

買ってから文庫をひっくり返して裏の文を読む。

     古書店『無窮堂(むきゅうどう)』の若き当主、真志喜とその友人で
     同じ業界に身を置く瀬名垣。 二人は幼い頃から、密やかな罪の意識を
     ずっと共用してきた―。
     瀬名垣の父親は「せどり屋」とよばれる古書界の嫌われ者だったが、
     その才能を見抜いた真志喜の祖父に目をかけられたことで、幼い二人は
     兄弟のように育ったのだ。 しかし、ある夏の午後起きた事件によって、 
     二人の関係は大きく変っていき・・・・・。

密やかな罪の意識・・・、ん?これ、ひょっとして。
本文を読む。

     そう言って、真志喜の白い額に落ちかかる淡い色の髪に触れる。
     「いつもながら、 俺の健康に気遣ってくれちゃって」
     「馬鹿か」
     真志喜は氷ですらもう少し温かいだろうと思わせる絶対零度のそっけなさで
     首を一振りした。 瀬名垣の手から髪はするりと逃げる。

あ、やっぱりそんな雰囲気だな。

     「へえ、泊まっていっていいんだ」
     茶化すような瀬名垣の言葉に、細い真志喜の首筋がうっすらと桜色に染まった。

そんなふうに男性の首筋がうっすら桜色に染まったなんて書いちゃって。

     二組の布団が寄り添うように縁を重ねているのを見て、
     真志喜はひくりと眉を上げた。
     襖を音高く後ろ手で閉めると、開いているほうの布団を
     瀬名垣の布団から引き離す。
     「何を考えてるんだ、あんたは」
     油断も隙もない、と真志喜は憤然としながら布団に入り、
     瀬名垣に背を向けた。

確信。


こういう世界にうっとりする女性もいるが、私はうっとりしない。
こういう世界にうっとりする男性もいるが、それはつまりそういうわけなのだ。

私はとことん女なので、とことん女な女が好きなとことん男な男が好きだ。


しかし、文体が美しく古書業界のことなど興味をそそる内容だったので読み進める。


ありがたいことに、二人の若者はたまに妖しげな雰囲気を漂わせるが、具体的な行為には及ばなかった。 及ぶのかしら・・と疑わせる(人によっては、期待させる)ような描写もあるが。 そこは、もう具体的に想像したい人は想像して、具体的に想像したくない人は想像しなくてよい程度だ。

どうして具体的な行為に及ばないかというと、そのことがメインのストーリーではないから。
メインではないけれど、主人公二人のキャラが彩りだからね・・。


「密やかな罪の意識」とあるが、それは、「世の中に一冊しか現存していないと言われる幻の本『獄にありて思ふの記』を12歳の瀬名垣が無窮堂の書庫の捨て本の山の中から見つけてしまった」ことから始まる。
真志喜の父はそれを幻の本と気付かずに捨てようとしていたのだ。
プライドを傷つけられた真志喜の父は姿を消してしまい、
瀬名垣の父は、恩を仇で返すようなことになったと、古本の世界から身を引いてしまう。
真志喜の父も瀬名垣の父もこの事件をきっかけに無窮堂から離れて行かなければならなくなってしまったのだ。


別に「密やかな」ってつけなくてもいいと思うんです。

これは、月魚の中のひとつめの話で題名は水底の魚

ふたつめは、瀬名垣と真志喜の高校時代の話で 水に沈んだ私の村

みっつめは、名前のないもので、これはやはり瀬名垣と真志喜の話で書き下ろしの短編。


三浦しをん て、初めて読みましたがこの作品は三浦さんの他のものとは毛色が違うそうです。 でも以前からボーイズラブにかなり心酔しているらしい。
ついに書きたい世界を書けたのかな。

この瀬名垣&真志喜の物語は、続編が出るかもしれないなって思いました。

かわいいでしょ? この表紙。


オンライン書店ビーケーワン:月魚 月魚 三浦 しをん〔著〕 2004.5 角川書店
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2005年11月23日

11月23日物語 : 立てない

読んでいる途中で、 このラストを私はどんな状況で出迎えようかと頭のかたすみで決めている。



ひとつは、 読み終わったら、 気になっている家事の続きにすぐ取り掛かるつもりでいる場合。

閉じたら、 すぐ買い物に行って大根とたまねぎを買って、 そうだ蜜柑が食べたいと言ってたから忘れずに買おう。 それから銀行に寄って注文していた本が入荷したというから本屋にも寄ろう。 次は何を読もうかな、まで考えながら読んでいる。

 

もうひとつは、 読後に呆ける時間が必要な場合。


若い時に読んではいたが、 もう一度 宮本輝 の 川三部作(蛍川・泥の河・道頓堀川)を読みたくなった。

用事をこなしながら一日の中で読み進めていったが、 ラストはどうしても 一人の時間に読みたかった。

家族が全員眠って、 今日の家事に思いを残すことなく片付けてから、ラストの数ページをめくりたい。


宮本輝の作品はいくつか読んでいる。  上手いなと思う。  別のも読んでみる。 やっぱりすごいなと思う。  時々、あら? と思う作品もある。 で、別のも読んでみる。 いいじゃない、と思う。 

でも 川三部作、 それもその中の 泥の河 は、 どうしてももう一度読みたいと、 読まなくてはならないと脳に刻み込まれている。


やっと読めた。  タイミングというものがある。

あー、こういう話だったか。  そうだ。  あらすじは覚えている。  涙した覚えもある。  だけど、こんなに深く感じては読んでいなかった。  初めて読んだ年齢の時には、私のどこに染みていたのだろう。  

10代の自分がどんな味わい方をして涙したのかその感性はいまとなっては思い出せないが、 今また読めるチャンスに恵まれてよかった。

絶対に今日のようには読んでいなかった。  あの時、あなたは何に涙したのですか? と自問する。     わからない。  

今日、 不思議なことに泣かなかった。  涙腺じゃないところにきてしまった。

どこか別の特別なところにきて、 読後に椅子から立ち上がれなくなってしまった。

またいつか読むことになりそうだ。  そのとき 泥の河は、 わたしのどこを揺さぶるのだろう。


同じ人間が同じ本を読んで、違う味わい方ができる。

年を重ねていくことも悪くないな、と思うときです。

オンライン書店ビーケーワン:蛍川・泥の河蛍川・泥の河 宮本 輝著 新潮社
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2005年11月12日

11月12日物語 : 真夜中のささやき


ブログにはアクセス解析というものがありまして。

何人の方が何時頃、 訪問してくれたかがわかります。 ね。

いつも ありがとうございます。  うれしいです

週末に限らず、 夜中の2時から4時がぐっと多いです。  次に午前の9時台。  それとお昼の12時と、夕方5時頃。 それから夜11時から12時の間。   朝の7時が一番少ない。

オンラインゲーム好きな友人も、 そう言ってました。

みんな夜中に起きてるんですね〜。  朝7時が一番少ないということは、 

「やばっ 朝だ! 仕事に行かなくちゃ!」 「学校に行かなくちゃ!」 「朝ごはんつくらなくちゃ!」

の、時間だからでしょうか。

では、 いったい皆さん、 いつ寝るのでしょうか。

今は 午前5時。   いつもなら6時に起きてお弁当と朝食の支度をします。

あと1時間。  いまさら寝るわけいかないです。

夜中の12時頃に 一日の家事を終えて 本を読み出しました。

宮部みゆき の 魔術はささやく

2時頃に、 「こりゃあ、 最後まで続けて読まないと気が済まないな。」 と。

読みながら、11日物語 の ブログを書きました。

なんか、ちょっと我ながら 器用。

読みながら、 油揚げを煮て、ごはんを炊いてお稲荷さんを作り、 玉子焼きを焼いて、 ささ身のカツを揚げて、ほうれん草のお浸しを作って、4時に今日のお弁当を作りました。

器用を越えて魔術師みたい。

で、さっき読み終わりました。  5時。

家族を起こす時間まで寝るわけにはいかない私は、 アクセス解析を見たりして・・ 

「わー、 いっぱい起きてる〜!  遊びに来てくれてありがとう!」 と感動しつつ 

「はて、 皆さんいつ眠るのかしら?」

そういう私もいつ眠るのかしら。


一人目はマンションの屋上から飛び降りて、 二人目は地下鉄で電車に向かって飛び込み、 三人目はタクシーの前に飛び出した。

目撃した人たちは言う。  自分から飛び込みました。  何かから逃げるように飛び込みました。
あれは自殺です。

でもそれは他殺だったのです。

どうやって?

え?  ずるいよ、それ。

魔術はささやく

題名が、 ほとんど答えみたいなものです。

謎解きは、 え〜、ずるいよそれ!  でしたが、 全体の肉付きが良くてダレません。

宮部みゆき は、 読ませますね。


おなかすいちゃった。  皮が破けてしまったおいなりさん、 食べよう。


でね、 みんな いつ眠ってるの?

私、 いつ寝てるのかなあ・・・。

今、5時15分。

魔術はささやく
宮部 みゆき著
新潮社 (1993.1)
通常24時間以内に発送します。
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2005年10月08日

10月8日物語 : 贅沢したい

朝6時、電話が鳴る。 小学校からの連絡網だ。

今日の運動会は順延になりました、というお知らせだ。 当然そうでしょう、と確信を持って電話に出た。


「おはようございます。 連絡網です。  今日の運動会は予定通り開催されます。」

「おはようございます。 はい、わかりました。 ・・・え! あるの!?」

「あるんだってー。」

「うっそー!! ・・・わかりました。ありがとうございます。」

すぐ次に回す。

「おはようございます。 連絡網です。  今日の運動会は予定通り開催されます。」

「はい。 は? え〜! あるの〜!?」

「あるんだってー。」

「うっそー!! ・・・はい、了解です。 ごくろうさまです。」


お弁当の支度はしておいたけど、まさか、あるとは思わなかった。  夜中の2時頃、じゃばじゃば降っていたのだ。  天気予報も、曇りだとか雨だとか言っていたし、 だいいち、校庭がぐちゃぐちゃだろうに。


運動会の支度をさせて、学校に行く。

普段、滅多に会うことのない母親たちのあちこちで挨拶しまわっている光景が見られる。

「あるとは、思わなかったね。」

「うん、もう気を許してお弁当の準備なんかしてなかったから、 運動会らしくないお弁当になっちゃった。」

「前日の夜中にあれだけ降ったら、去年までは延期になってたよね。」

「1ヶ月くらい前に、校庭の土を全部水はけの良い特殊な土に入れ替えたんだって。」

そういえば地面に変な弾力を感じる。

「去年、順延、順延でずいぶん延びちゃったから、学校も考えたのね。」


「眠いわー、 私、レンタルビデオ屋さんでビデオ2本借りて、3時まで観ちゃってたわ。」

「私なんか、オンラインゲームで 4時まで遊んでしまった。」

やっぱりみんな考えることは同じようだ。

私は、4時まで本を読んでしまった。

それでも長篇に挑まず短篇集にしたから、4時で済んだのだ。

宮部みゆき の 返事はいらない

表題作と他5作品。

宮部みゆきの長篇は、 長いのを書くぞという意気込みに溢れていて、事件現場の説明や人物描写が丁寧過ぎたりして
 
「早く早く、どうなるのよ〜、だからこの女性がどうしたのよ〜。  この番地まで書いたこの場所がどう事件の鍵につながっているのよ〜。」
 
と早く先を知りたい私は、もぞもぞしてしまうことがある。

短篇だと枚数に限りがあるので、そこらへんそんなにくどくない。  短篇を読むと、 「あー、宮部みゆきって、やっぱり文章が読みやすい。」 と思う。

文章自体はくどくないんだなあ、ストーリー展開に無理がなくするするっと頭に入ってくる。


これって、私の生活リズムのせいなのかなあ・・・。  

長い長い作品を大切に、ページをめくるのももったいないほどゆっくりと丁寧に言葉や文章を反芻しながら味わう。
 
読み終わってため息をついて本を胸に抱きしめて、また最初からめくって眺め、いつの間にかもう一度読んでしまう。

そんな読書の仕方を最近していないな。

そんな贅沢な読書をしたい。

忙しい忙しいと思っているから、出来ないのかしら。  それとも贅沢したくなるような大作に出会わないのかしら。  そもそも長篇を避けているところがある。 


運動会のお昼休み。

周りを見渡すと、近くのスーパーの袋や、スタバやドトールの紙袋を持っているウチもちらほら。

しょうがないよね、あんな天気だったんだもの。

我が家はわりと小学校から近いほうだけど、電車で30分、1時間かけて通っている家がほとんどの学校だもの。   昨日のお天気では、準備する気も起きないです。  

で、雨の休日!と思えば、いつも忙しいお母さんもたまにはゆっくり過ごしたくなるものです。 

今朝はどこのおうちもパニックだったみたいです。  

お母さんは 大変ねっ。  無事、運動会も済んで良かった良かった。  お疲れ様でした!

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2005年09月11日

9月11日物語 : 気まずい香り

9月になって10日が過ぎた。  頭も身体も重くだるくてしかたない。

食事を作ろうと思ってもメニューがなかなか決まらない。  読書に対する集中力もなくなってしまったみたいだ。

夏の疲れが出てきたのだろうか。


石鹸を変えることにした。

敏感な人は 店の500メートル手前からくらくらしてしまうだろう。

多種の色と香りの固形石鹸が100g単位で売っている店だ。  固形シャンプーや固形コンディショナーもある。 バスタブに落とすとシュワーと泡立つゲンコツ大の丸い入浴剤や、ボディソープ、スキンケア用品など。 

ひとつひとつは魅力的な香りだが、 店内はそれらが全部混ざって複雑な香りを放つ。

ネーミングもおもしろい。

たとえば (ヴィーナス誕生)。 たとえば (恋の導火線)。 たとえば (ごめんねダーリン)。

成分や効能や目的によって 名前がつけられているらしい。

店の中に積んであるたくさんの石鹸やボディクリーム、シャンプーに鼻を近づけて嗅いでみる。

ひとつひとつは個性的な香りだが、嗅ぎ比べていると4つくらい前に嗅いだ匂いの印象を忘れてしまう。

手首から二の腕まで 少しずつ試供品をつけて嗅ぎ比べているうちに混乱してきた。


「どんな香りをお探しですか?」

「身体のだるさや疲れを取って、気持ちが一新できるような石鹸・・かな。 リラックスしすぎず、ハイになりすぎず。」

「そうですねー、 好みもありますからね。 では、これはいかがですか?」

店員が差し出した石鹸に鼻を近づけて香りを嗅ぐ。 ベルガモットの香り。 それとなんだろう? でも少し明るすぎる匂い。  

名前を見ると、 (ブラジル娘の唄 ・・ 陽気なサンバのリズムに合わせて、気分はプラジルの歌姫、カルメン・ミランダ!)

「ここまで ハイになりたくないんですが・・」

「では、これは?」

ピンク色の石鹸を指し示す。  べたべたとした甘い匂い。  飴玉みたい。

(ロックスター ・・ おいしそうで、 楽しい気分になれるお菓子のような甘い香り)

めまいがしてきた。

この店で買い物をする時の注意点は、 一分でも早く済ますことだ。 それなのに長く居すぎたようだ。

「あの、自分で探しますね。」

一旦 店の外に出て 新鮮な空気を吸う。  遠目から見て 色でだいたいの見当をつけ、石鹸のそばに寄り 香りを嗅いでみた。 

よし、これにしよう。

ターコイズブルーの色の石鹸。  名前は (シーベジタブル)

包んでもらっている間に、 見本品の説明を読んだ。

 ・・ (どうもやる気が出ないときは、これで全身を洗ってみてください。  海の塩がお肌を適度に刺激して、同時にライムオイルの香りが頭をシャキッと目覚めさせます。 バスルームから出る頃には、ほら、 お肌いきいき、やる気もモリモリ出てきたでしょ?)



ピンポーン ピンポーン

防音扉が開いて、田中さんが顔を出す。

「こんにちは。」

「こんにちは。」

「暑いけれど涼しい風もありますね。」

「涼しい風も吹きますが暑いですね。」

「何曲かお願いします。」

田中さんは、 私の顔をじっと見る。

じっと見る。

いつもは5秒ほどで ぴったりの曲を判断してくれるのだが・・・。

じっと見る。  むずかしい顔で じっと見る。

そんなに重症なのだろうか。 

「つきこさん。」

「はい。」

「なんだかすごい香りに包まれて つきこさんが見えないんですが。」 

あ。

「いつもの勘が働きません。 それは いったい・・・?」

「どんなイメージの香りになっちゃってますか?」

「うーん、 難しいです。  えーと、 ロンドンでやっと見つけた青空のような・・・ いや、 5月の草原で朝露に濡れた草を踏んだような・・・、 いや、うん、 雨のニューヨークで古本屋の前でホットドッグをかじっているような・・、 いやいや・・ ジブラルタル海峡でサンタクロースが浮き袋につかまってぽっかり浮かんでるような・・ タヒチの・・・ うーん。」 

「ごめんなさい。 LUSHに寄ってきてしまって。」

「あー、あそこね。 しかし(香り)って、すごいもんですね。 混乱しますよ。」

「多分、ひとつの傾向に向かっている香りなら、混乱しないと思うんですが。」

「そうですね。  いやー、ものすごい武装です。」

「・・物騒?」

「いえ。(武装)」

あー。


つきたてのやわらかなお餅が伸びていくような長い間を断ち切るように ようやく田中さんが言った。

「今日は、僕だめですね。 つきこさんのほうから何かリクエストありましたら。」

「うーん、どうしようかな・・。 私もわけわかんないので・・ そうですね 思い切ってがんがんハードにディープ・パープルなんかは?」 

「え? パープル・・、 はあ・・ はい! いいですよ。  なんでもいっちゃいましょう!」

「ガツンとお願いします。」

ギターを選び、 音を調整する。

一曲目に HIGHWAY STAR

続けて SPACE TRUCKIN’  そのまま SMOKE ON THE WATER 
すごいすごい! ひとりライブだ。  部屋がどんどん熱くなってくる。
田中さんの顔から腕から汗がぽたぽたと落ちる。


「ありがとうございました!」

「弾き出すと集中して 匂いが全く気にならなくなりましたよ。 いやー、たまには パープルもいいもんですねー! つきこさんに パープルを弾きたくなるような雰囲気の時なんてなかなかないですからね〜。 そういう日は僕のところに来ないですか、 はっはっは。」

「今日は混乱させてしまってごめんなさい。 しばらくこの香りが残ってしまいそうですね・・」

「いえいえ、 この国籍不明のドンチャン騒ぎの残り香で 画期的な 曲が作れるかもしれないですから。」

・・国籍不明のドンチャン騒ぎの香り。

「ごめんなさいね。  十分換気してくださいね。」

「いやいや、なかなか 世界万国博みたいで、良いですよ。 ははっ。」


本当の話だが、 田中さんは リッチー・ブラックモアより うまい。


その後ドトールに入って アイスコーヒーを飲んだ。 
 
右隣でクロックムッシュを食べていた人が、私のほうを見て 心持ち鼻を近づけると 少し椅子を遠くにずらした。
ホットドッグとケーキとコーヒーをお盆に乗せて私の左側にいったん座わった人が、30秒くらいすると、席を移った。

そうか、 このドンチャン騒ぎの世界万国博な香りは 食事にも 不適合なのね。 

私は、開きかけた 三谷幸喜 の 気まずい二人 を 閉じると、 アイスコーヒーを半分ほど残して 店を出た。

三谷幸喜は脚本家でありながら 初対面の相手となかなか打ち解けられず会話するのが苦手だそうだ。

そこでわざと苦手なタイプの女優やタレントを呼んで対談をしてみたという実験的な対談集です。

ここには、13人の芸能人(女性ばかり) との対談が 載っていますが 月刊誌で対談した時は16人いたそうです。  ところが単行本にするにあたって 「本にするのは罷りならん」 と 2名の事務所からダメが出て、 あと1人は雑誌に載せることさえ拒否したのだそうです。


「やっぱり猫が好き」や「古畑任三郎」などを書いているのに、女性と話すのが苦手 (それもほとんど 怒らせてます。) なんて おもしろいです。


[この本の使い方として]  以下のように使用方法が書いてありました。

@ 対談集として楽しむ

A 戯曲集として楽しむ

B HOW TO本として活用する


気まずい二人
気まずい二人
posted with 簡単リンクくん at 2005.11.20
三谷 幸喜〔著〕
角川書店 (2000.2)
通常2-3日以内に発送します。
posted by tsukikohime at 00:45| Comment(2) | TrackBack(0) | まみむめも | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月13日

8月12日物語 : 意地悪なおばさん


 「夕食終わったら、ブックオフに連れて行ってくれる? で、帰りにバーミヤンでピータン食べさせて。」

 「いいよ。」

 と、約束していたのに、夕食後すぐにお風呂に入ってしまった。

 「出掛けるんじゃなかったの?  出掛けると思ったから昼間のうちに、過去問、2年分やっっておいたんだよ。」

 「あ、ごめん。」

 時計を見ると9時を回っていた。

 「すぐ、仕度するから。」 

 車の鍵を持って、玄関で海が靴を履く。 2分も待つ気はないらしい。

 仕方ないので、髪を乾かさずに上にまとめ上げた。 長いのでドライヤーで乾かしてると10分はかかってしまう。 帰りが遅くなってしまうから、早く出なきゃ。 タンクトップにダンガリーのシャツをはおり、短パンにサンダルを引っ掛ける。 襟足に雫が落ちてくすぐったい。 車を走らせてすぐに雨が降ってきた。 傘を持って来なかったな。 でもどうせ髪濡れているし別にいいや。

 40分ほどブックオフに居て、車を置いたまま歩いてバーミヤンに行く。 さっきより雨が激しくなっていた。 シャツを脱いで、海の頭にかける。 
 席に着くと注文をして二人でがさがさと袋の中の本を出す。 さっき貸した私のシャツに海はちゃっかり袖を通して着ている。 

 今買った何冊かの本の中から一冊を取り出した。 村上龍すべての男は消耗品である。Vol.2
 1980年代の終わりの頃に出たエッセイで、当時、売れに売れたそうである。Ryu's Bar なんてテレビ番組もやっていたらしく、映画もばんばん撮っていて、絶世期だったのかしら。  もちろん有名であちこちに名前が出ていたから知っていたけれど、私は、当時一冊も読まなかった。 最近になって、五分後の世界Kyokoフィジーの小人を読んだ。 フィジーの小人は、わけわかりませんでした。 性描写に気持ち悪くなりました。

 すべての男は消耗品であるは、今Vol.7くらいまであるそうですが、Vol.2なんて読んだのがいけないのか、 ”今”を語っているので、”今”読むと古いです。  あとね、 なんか 大きな声で唾飛ばして語ってたり、 欲求不満でイライラしてる男 (女)って、苦手で。 作品の向こう側に居て欲しいなあ。 あんまり、作家って、テレビに出たりしないで欲しいなあ。 作品を味わいたいだけだったのになあ。  だから、林真理子も読めなかった。 私が手に取る前にテレビや雑誌にどんどん出てしまったので。 どんなに良い作品だと言われても、「私、結婚したいんですよー。 痩せたいですよー。 エステに通ってるんですよー。」と話してた顔が浮かんじゃうの。


 隣のテーブルで、必要以上に大きな声で話している二人組みの男の子。 18〜21歳くらいかな。  ぎひひ、なんて笑いながらね。  女の話しているの。 誰それは、すぐやらせてくれそうだとか、 誰それのおっぱいはデカクていいよなーとか。 誰それはあの時、すんげー声出しそうだ、とか。 もっともっと卑猥な話をね。 ここに子供が居るのにね。 明らかに聞こえているのを喜んでる。  母親ほどの年の私の足まで(女)の足だと思っている節があって、足を組替えるたびに話が止まる。  床に落ちている箸袋くらいの認識か、 もしくは、「おばさんが短パンはいて公共で足、さらすんじゃねーよ!」の視線で私を恥じさせてくれるのならまだ彼らの今後の女性経験にも未来が見えるんだけど。 

 海は本に夢中になっているけど、もう帰ろう。

 本をパタッと閉じるなりすくっと立ったら、話も下品な笑い顔も張りついたまんまの顔で見上げられた。

 「これ、あげる。」

 「え、あ、い、いいんすかー。」

 「後ろのね・・・、」

 「あ、はいっ。」

 「解説が一番おもしろかった。」

 「あ、そーなんですか。 すんません。 いっぱい本、買ったんですねー。 すんません、読んでみます。」

 二人とも立ち上がってしまった。
 「すんません、 どーも。 すんません。 読まさせていただきます。 すんませんです。」

 やーね、私、意地悪ね。


 
 

 

 
posted by tsukikohime at 03:51| Comment(0) | TrackBack(0) | まみむめも | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする