「秋が毎日寄せてくるね。」
「秋ってさざなみのように来るのね。」
「つきちゃん、手をつなごうよ。」
「ダメよ。 ここは吉祥寺だもの。 こちらが気が付かなくても見られてるかもしれないし。」
「新宿でもダメって言うよね。」
「渋谷でもよ。」
「僕たち、どんなふうに見えるかな。 夫婦に見えるかな? 見えないよな。」
りょうちゃんは、ひとりで答えを出している。
「不動産屋さんと物件を案内してもらっている主婦。」
「そんなふうにも見えないさ。」
「知らない人は、ヒトのことなんか気にしないと思うわ。 ただ、知っている人に会ったらね・・」
「豆腐、食べに行こう。」
「なーに、それ?」
「つきちゃん、 豆腐みたいだからさ。」
「どうして? 私は色白でもないし、豆腐みたいにふっくらした感じじゃないのに。」
「こないだ、 飲み屋で湯豆腐食ってたら、 『つきちゃんは豆腐みたいだな。』って 思ったんだ。」
「お醤油かけて、食べたの?」
「美味かった。 美味くてあわてて食ったら口の中、火傷した。」
私達は東急デパートのエレベーターに向かった。
一階からエレベーターに乗るとあとからあとから他の客が乗ってきて 私達は箱のすみのほうに押されていってしまった。
あ。 知っている人。
りょうちゃんに目で教える。
彼女は 上の階数表示を見上げていて後ろを振り向く様子はない。
りょうちゃんが私の手をとって自分の後ろに回してぎゅっと握る。
私は素知らぬ顔で、彼女の後頭部を見てた。
指をいじりまわして遊んでいる。 ずるい。
今りょうちゃんは いたずらを遂行中の子供みたいな顔をしているのに違いない。
知人は4階の婦人服売り場で降りて行った。
階数が上がる度に乗る人より降りる人が多くなり、エレベーター内がすいてきた。
私はりょうちゃんの手をそっと解くと身体を離した。
レストラン街のフロアに降りて 『梅の花』 に向かう。 豆腐料理の店だ。
人気があるらしく たくさんの女性客が店の外に用意された椅子に腰掛けたりその周りに立って順番を待っている。
「全員、女性ね。 カップルなんて居やしないわ。」
「大丈夫?」
「誰かに会わないかってこと?」
「うん。」
「(兄です)って言うわ。」
「(弟) だろう。」
「(叔父)って言うわよ!」
りょうちゃんが店の受付の女性のところに行って何か聞いてくる。
「あと、20分待つって。」
「ね、一階下に書籍売り場があるの。 待っている間、行かない? 10分くらいなら大丈夫でしょ?」
「席が用意されたら携帯で知らせるから 1人で行っておいで。」
「りょうちゃんは行かないの?」
「うん、 文字の洪水は 今は、 俺は・・。」
「そう・・・。 じゃ、ひとりで行ってくるね!」
りょうちゃんは、冗談ばかり言ってやけにはしゃいでいる時と沈んだ横顔を見せる時との入れ替わりが 激しすぎる。
自分では気が付いてないのだろう。
会う度に変わるのではない。
たった数時間ほど一緒にいる中でくるくる変わるのだ。
まだ 会社は 大変な時期を脱していないのだろう。
まだ ”落し物” は 見つけていないのね・・。
下りのエスカレーターに向かって歩いている時、 背中にりょうちゃんの視線が張り付いているような気がして振り向いたが、りょうちゃんは椅子に腰掛けて俯いていた。
俯いているのではない。 あれは うなだれているのだ。 軽く広げた足の間で手を組みまるでお祈りをしているように。
・・本当に ”叔父さん” って 呼んじゃうぞ。
あったあった。
探していた本はすぐ見つかったので、清算を済ませると他の本を見渡すこともせずすぐりょうちゃんのところに戻った。
居た! りょうちゃんは、さっきと全く同じ姿勢で座っている。
「りょうちゃん!」
数人が振り向くほど大きな声が出てしまった。
りょうちゃんは 顔をあげると、じっと私の顔を見て そして角砂糖が紅茶の中で溶けていくように笑った。
「走ってきたの?」
「階段を走ってきちゃった。」
「ぜえぜえ言っているよ。 何を買ったの?」 と言いながら席を立ち 代わりに私を座らせる。
「
原田宗典 の
優しくって少しばか っていうの。」
「つきちゃんは 昔からよく本を読んでたな。 知らない作家なんてないんじゃないの?」
「とんでもない! あの頃私が読んでいたのは 教科書に載っていそうな古典的なものや翻訳本ばかりよ。 最近の作家って あまり知らないの。
原田宗典 は最近の人じゃないし、この作品もとても古いものだけどね。」
私は話が止まらなくなった。 りょうちゃんは 私のほうを見てたまにうなずいてはいたが、声だけしか届いていないだろう。
言葉の意味なんてきっと脳の表面をなで通り過ぎて行っているだろうことは、わかっていた。
「彼の短編が好きなんだけど、もう少し長い中短編くらいのも読んでみたかったの。 この表題作の中にりょうちゃんと昔よく聴いた
キース・ジャレット の
ケルン・コンサート のことが少し出てくるんだって。 だから、読んでみたいなって。 でね・・・」
その時、案内係りの女性に 順番が来たことを告げられた。
りょうちゃんのすかすかの目を見つめ続けなくて済んで 私はほっとした。
案内された席は個室だった。
「個室を頼んだの?」
「ああ。 誰にも顔を合わさないから落ち着いて食事ができるだろう。」
自分でこの店を選んだくせに、 運ばれてきた料理を食べながら りょうちゃんは文句を言う。
「豆腐はさ、 こうあれこれいじられるより 豆腐のまんまがいいよ。」
「湯豆腐とか、冷奴とか? でもこうゆうのも私好きよ。 美味しい。」
「湯豆腐がいいな やっぱり。 つきちゃんみたいだから。」
「さっき、つきちゃんが走ってきただろう? ぜえぜえ言いながら。」
「うん。」
「すごく嬉しそうな顔しているから、俺もすごく嬉しくなった。 お目当ての本を見つけたから?」
「ううん。」
足が痺れそうだったので重ねていた足の先の上下を変える。
「ちゃんと居たから。 ちゃんとりょうちゃんが、 あそこに 居たから。」
りょうちゃんは、驚いたような目で私を見て、すっと息を吸うと急に箸を置いて下を向いて黙ってしまった。
どうしたの? だって、本当にそうだったんだもの。
私も箸を置いた。
配膳係りの人がノックをして 次の料理をテーブルに並べると私達の様子など全く目に入らない様子で、その料理の説明をする。
トン と小さな音を立てて引き戸が閉まっても まだりょうちゃんは下を向いたままだ。
「お料理が冷めちゃうよ。」
「つきちゃん。 ・・・・・。」
「え? なあに?」
下を向いたままで なんだか声がくぐもっていてよく聞き取れなかった。
「なんて 言ったの?」
「俺・・。 死ぬ時は・・」
「死なないで。」
「つきちゃん の 角に頭ぶつけるのが いい。」
『わたしの角ってどこ?』 考えても考えても そんな つまらない切り替えししか浮かばなかった。
そう聞いたら、りょうちゃんは 少し笑ってくれるだろうか。

優しくって少しばか 原田 宗典著