待ち合わせに30分早く着いてしまったから、 近くの神社の境内を覗いてみることにした。
どんどん人がやってきてずんずん狭い階段を登っていく。
階段を登りきると狭い参道の両側には露店がずっと並んでいた。
そこを通り過ぎると、 お守りや御札を販売しているところまで新たな行列が出来ていた。
「早稲田に着きました。 つきこさん、今どこに居ますか?」
「近くの穴八幡という神社に居ます。」
「そこに行きますから待っていて下さい。」 と電話が切れた。
そこに行きますからと言われても、こんな人込みの中、探し当てるなんて無理じゃないのかしら。
電話をかけ直すが、なぜか繋がらない。
見つからないから出てきてくださいとか、 目印になりそうな場所を決めてくださいとか、 そのうちまた電話をかけてくるだろうなんて、呑気な気持ちで露店を覗いたり、 時々背伸びして辺りを見回してみた。 焼きそばやお好み焼きの匂い。
まだよね。
十二支の根付を売っているお店があって、立ち止まる。
種類もいろいろあって、なんてかわいいんだろうとあれこれ手に取って見ていた。
ふと確信を持って一方向を振り向き見た。
人込みの中、彼が居た。 見つけたとき彼も同時に私を見つけた。
本当に同時に。 にこにこと近づいてくる。
露店が連なっている通りは人が無秩序にあちらにこちらに歩いていて、立ち止まる人もたくさん居て、その中を彼は私の目を捉えたまま歩いてくる。
映画で見たことがあるみたいに、 周りの人間も景色も白黒で彼だけが総天然色だった。
やがて私のもとにたどり着いた彼に言った。
雑踏の中でアナタは背が高いから見つけやすくて便利ですね。
つきこさんは普通の背丈ですが、どんな雑踏の中でも僕はアナタをすぐ見つけられます。
言葉が返せなくて黙っていると
つきこさんはつきこさん色しているから、と言う。
あ、これはデジャブ。 いつかどこかで誰かとこんな会話をしたことがあるような。
彼は、つっと手を取り歩き出した。
ああ、温かい。
生まれた時からずっとそばに在るべき探していた正しい温かさ。
「ここはね、 冬至から節分の間だけ、お守りを手に入れられるんですよ。」
さっきのデジャブ感覚は、なんだったのだろうと思いながら歩いていた。
「金銀融通のお守り、だそうです。」
「金銀融通?」
「はい、 どんなに困っていてもここのお守りを持っていれば、どうにかなる、そうです。」
「経済的にどうにかなるってこと?」
「はい。」
「ああ、それで、お正月前なのに混んでいるのね。」
「つきこさんは何も知らずに入ってきてしまったのだからお導きかな。 お守りを買っていきますか?」
「そうですね。 お導きですね。」 あ・・ 思い出した。 デジャブ。
「どうしました?」
かすかな 「あ」 だったのに聞こえたのかしら。
「いえ・・・ちょっと、 何でもありません。」
「つきこさん。 今の(あ)は いい感じの(あ)でした。」
そんなふうに言われるとしばらく自分のつま先しか見れなくなってしまう。
黙っていたら、 「位置を変えましょう。」 と言う。
「今度はそっちの手を温めます。」
「あ、ありがとうございます。」
「つきこさんはね、」
「はい。」
「子供の時から、お手々が冷たいようって泣いてたつきこさんでしょ。」
私を女にしたり子供にしたり、ときに母にもする。 だからアナタから離れられない。
デジャブではなかった。 ずっと前に読んだ小説だ。
あれはなんの小説だったかしら。
夕方、家に帰ってから探してみる。
確か、女性の作家で、あれは・・・と何冊かページをめくってみて、見つけた。
約束の六時五十分ぴったりに、深町直人は現れた。 背が高いので、
雑踏のなかでもすぐにわかるので便利だ。
私がそう言うと、深町直人は笑って、
「こと子ちゃんは小さいけど、雑踏のなかでもすぐわかるよ。」
と言った。
私はどう返事をしていいかわからなくて黙った。
ふうん、これだ。
江國香織の
流しのしたの骨おっとりしているけれど頑固な長女のそよちゃん、 不運な人ばかり好きになってしまう次女のしま子ちゃん、 夜のお散歩を習慣としている19歳の私こと子、 笑顔が健やかで一番平らかないくつになっても姉たちの ”小さな弟” の中学3年生の律。
やさしく温かな母、 大黒柱の威厳を持つ家族想いの父。
ちょっと変だけれど幸福な宮坂家の物語。
どこも変じゃなかった。 うん、ちょっと変かもしれないけれど、誰だって自分んち以外はどこも自分んちとは違うんだもの。
だけど宮坂家は確かに幸福な家族だ。
そよちゃんはそよちゃんという名に相応しく、 しま子ちゃんはちゃんとしま子ちゃんだし、 こと子はやっぱりこと子だし、 律は律。
こと子の恋人は深町直人しか在り得なくて、 そよちゃんが別れると決めた夫は津下さん。
そしてなによりも、父は父で母は母なのだ。
父はどっしりと父で母はすんなり母なのだ。
嫌なこと辛いことがあっても、家族が思いやりの暖かなコートで包み込む。
読んでいて温かい気持ち。 振り返って探す。
読んでいて懐かしい気持ち。 振り返って探す。
読んでいて、振り返って、探そうとして・・わたしは幼子に戻り、探そうとして、思い出せなくて、思い出してしまって、数えるほどしか、 数えられるほどしか見つからなくて。
温かな家族の物語は私を乱暴にくしゅくしゅちっちゃくさせて、どうして温かな心地に冷気を吹きかけるようなことになるのだ私は、と物語の良さを素直にわかる自分と拗ねている自分に、なんだか漫画によくあるような天使の自分と悪魔の自分が言い争っている絵図が浮かんで、 やれやれまいったなこりゃなどと本と閉じて声に出して言ってしまう。
小説ってものは、まったく恐ろしくへんてこだ。
作者のものじゃなく、読んだ人のものに自在に姿を変えてしまう。
本を閉じると私は急いで現在の私に戻って母となる。
母で在ることは幸福だと感じる私に、温かくなる。 温かくなる自分にやっとほっとする。

流しのしたの骨 江国 香織著