2007年10月27日

10月27日物語V : おぐりくんね!

今日空くんの高校の学年PTAに行ってきました。

空くんは某私立中高一貫校の高校一年生で、
陸上部でハイジャンをしてますが、
その陸上部の顧問でクラス担任でもある
○○先生が、
花盛りのなんとかの
おぐりなんとかの (わすれた)
ハイジャンの指導をしたんだそうです。

学年PTA前の食事会でお母様達がその話題で
盛り上がってました。

息子に聞くと、
おぐりなんとかなんて、おかあさんは知らないだろうと
思って話さなかったそうです。
そのとおりです。
でもいまは知ってます。
おぐりくんでしょ。


再読です。

あいきゅーが、68のしとのぶんしょーから
はじまるのわ よみずらいかったのです わたしわ

でも しじゅつであたまよくなったきたから
あいQが ふえて 
だんだんに よみやすくわなります

アルジャーノンに花束を 


アルジャーノンに花束を  ダニエル・キース著

この原文はいったいどういうことになっているのだろうか?
これを翻訳するのは至難の技だったのではないかと思います。

わたしの英語力では無理だとわかっているのに
買ってみたことがあります。
若気でいたりです。
もちろんすぐにギブアップです。

ついしん。どーかついでがあったらうらにわのアルジャーノンのおはかに花束をそなえてやてください。

ラストの一行を読むまで泣くのをこらえました。
途中からこころはもうびしゃびしゃです。
さいごは濡れたぞうきんをしぼったように泣きます。
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2007年10月26日

10月26日物語V : なにから2

崩れそうな山から
崩れないように一冊抜き出してみました。

怖がっていてはいつまでも読み出せない。
なんでもいい、読んでみよう。

しかしそれはまったく記憶にない本。
買った覚えないです。
誰かにもらった本だったか?

新井素子 ハッピー・バースディ

読んでみた。
自分で手に入れようとして手に
入れた本ではないことを確信。

リハビリもちゃんとしたリハビリをしなきゃ。
接骨院に行くべきところ整骨院に行ってしまったような
気分です。

なんでもいいってことはないんですね。
本離れしていたわたしには
今回、これはピンとこなかったです。

なに読もう。

でもね、うふふ。

二日前に大量のCDと本をネットで注文したんですよ。
ふふ。

マイケミのDVDとか、T−BOLANのCDとかね、
ふふふっ。 
オフスプリングのCDもね。 ふふふふっ。
もちろん本もふふね。 
新聞でみて、読んでみたいなーとふふ思ってたのをね、
ふふ注文したの。 うふっ。

「うふっ、うふふふふふっ・・・・・」
       ↑
新井素子の「ハッピーバースディ」のラストの一行のセリフ。
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2007年07月07日

7月7日物語U : blog 記念日

7月7日
今日は織姫さんや彦星さんにとって大切な日ですが、
つきこさんにとっても大切な記念日です。
今日までは、○月○日物語U ですが、
明日から一年間は、○月○日物語Vになります。
今年度は記事を書くのがひじょうに少なかったのですが、
来年度はぜひ、ぜひ・・・、う〜ん・・、ぜひともと
思っています。 おもっています。 オモッテイマス。



憑神  朝田次郎著


読んだ日に、映画化されるという話をTVで耳にして、
その映画の宣伝を観ましたが、
小説にどこまで近いのかは、不明です。
近いかどうかは別として、映画のほうも
けっこうおもしろいかもしれないなーと思いました。

時は、幕末。
ある下級武士に3人の神様が次々と取り憑きます。
それも有り難くない神様で、ひとりめが貧乏神。
次に疫病神。
最後は死神です。
「宿替え」という裏技を使って、貧乏神と疫病神は
他の人に振ることができましたが、
もともと貧乏で不運続きのこの下級武士、 
律儀でお人好しで頭が固く、
この時代においても時代遅れな武士魂を持った
別所彦四郎は、死神を受け入れました。

輝きが足りなかった自分の命を光り輝かせるために
ある一大決心をしたからです。


笑わせてくれて、泣かせてくれて、
世の理を考えさせてくれて、
自分を振り返らせてくれてと、
浅田次郎さんのは、たいがい満足できるだろうことが
わかっているから安心して取り掛かれます。

つきこU に引き続き V もよろしくお願いいたしますっ。
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2007年07月06日

7月5日物語U : そこは袋小路です




袋小路の男、小田切孝。 
みたいたな男を好きになってしまったことがある。
やっかいだ。
算数ができるような女は小田切孝のような男には最初から
近づかない。

小田切孝のような男がこの世に存在することさえ知らない女も
いるだろうし、
小田切孝のような男がこの世に存在することさえ知らない男も
いるでしょう。

小田切孝のような男に惚れてしまった馬鹿な女友達を
馬鹿だなあしょうもないなあと思っている女もいるだろうし、
小田切孝のような男に惚れてしまった馬鹿な女に惚れて
馬鹿重ねになってしまった男もいるでしょう。

そんなふうに、
小田切孝はやっかいな男なのです。

「もっともゆたかな愛は時の仲裁に服するものである」
の言葉と時間の経過にしがみついて、 
今はだめでもきっといつか、とくじけない女。
高校一年で小田切孝に惚れて以来12年。
何百回と会っているのに指一本触れたことがない。
もちろん、12年の間に、何人かの男性とは付き合った。
それはあなたに触れさせてもらえない苦しさから逃れるためだ。
でもそれはただの浮気。
浮気じゃ何の解決にもならないことが判ってしまった。

結婚はしないけど、 いつかは小田切孝の介護をして
看取って葬式も出してやろうと心の中で決心する
「私」なのでした。

危うきに近寄ってしまう傾向のわたしには、
よくわかる、その気持ち。
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2007年01月16日

1月16日物語U : 参考になったようなならなかったような

ちかごろ、本とのおつきあいのスタンスが変わってきて、 以前なら袖振り合うも多生の縁というかんじで、 一度開いちゃったものは最後まで読むという姿勢だったのですが。
あ、おもしろくなさそう。 こうゆう文章苦手。
なにこれ、つまんない。 あーつまんない。 やだ。 と思いながらも、ひとつくらい長所もあるだろう・・と苦しみながら読んだりして。
大好きなはずの読書に、 どうして試練を持ち込んでいたのでしょう。

そしてちかごろわたしは、 だめならだめ。 いやなものはいや。
相性が合わないものは合わない。
と、ななめに読んだり、 飛ばし読みしたり、2,3ページ読んで放り投げたり(物理的にポイッと投げるのではありません)するようになりました。

ひとづきあいと似ている。


オンライン書店ビーケーワン:黒い朝、白い夜
黒い朝、白い夜  岩井 志麻子著  2006.5  講談社

これは、エッセイ? 私小説? 

「貪欲だからベトナムに愛人を作り、無欲だから韓国に内縁の夫と暮らし、老獪だから東京にも好きな男をこしらえる」
と、今日はベトナム、明日は韓国、昨日は東京。 岡山に捨ててきた息子のこともときどき思い出しながら。

ベトナムの彼とあんなふうにしたり、こんなところでしてみたり、 韓国の彼とはそんなふうにするのが気持ちよかったり、あんなことをしてみたりしちゃったり、 たまにはこんなこともよいかしらん・・みたいな話でした。
最後のほうには、中国人の情夫もできます。

ななめに読みました。
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2006年10月05日

10月5日物語U : わたなべ・・

   
   「誰だっけ。ほら、あの人」
   最近、こんなせりふが多くなった。
   「俳優だよ。あれに出てた。外国の俳優だ」
   代名詞ばかりで、固有名詞が出てこない。 
   会議室に並んだ顔が一斉に見つめてくるのだが、
   炭酸ガスのように頭の中から抜け出てしまった人名を、
   私はいっこうに思い出すことができなかった。
   その男優の姿形は浮かんでくるし、
   何年か前にヒットした主演映画のニュースや宣伝は
   嫌というほど目にしていたはずなのだが。
   最初のひと文字は「キ」? いや違う、
   「ブ」だったっけ?

という出だしは、 私を怖がらせた。
そんな現象はよくある。 そっくり。
でもこの本は若年性アルツハイマーになってしまった男性の物語。

この出だしで、がっちり掴まれて続きが気になってしょうがない人は私だけではないでしょう。 
でしょ?

オンライン書店ビーケーワン:明日の記憶

明日の記憶 荻原 浩著 2004.10 光文社


主人公は今年50歳になった広告代理店の営業部長。
最近、物忘れが激しいのも年のせいかな?  不眠やめまいや倦怠感も、ここのところ仕事が忙しすぎて疲れが溜まっているせいかな?  と自分の症状をしっかり見つめることを怖がったり、 病院に行くことを拒んだりしているうちに、 ついに仕事に影響を及ぼすほどのミスをするようになり、 本屋で家庭医学の本を見てみると、どうも「うつ病」の初期症状に似ている。 妻にも勧められてしぶしぶと精神科へと足を運ぶ主人公。

脳のCTスキャンとMRIを撮られて、後日検査結果を聞きに行ったときにそこで行われる問診。

3つの言葉を覚えて復唱する。 あさがお、飛行機、いぬ。
知っている野菜の名前をできるだけ挙げる。
100ひく7は? そこからまた7をひくと?
今日は何曜日ですか? では、何月何日ですか?
8,3,5,9 を逆から言ってください。
さっき挙げた3つの言葉はなんでしたか?
5つの品物を見せて隠して、なんだったか確認する。

怖い本です。 わたしも、やってしまいました。

「まだ確定ではありません。 しかし、申し上げておいたほうがいいと思います」
「おそらく若年性アルツハイマーの初期症状だと思われます」

夫婦は 「まだ確定ではありません」の言葉にすがりつつ、次第に顕著になっていく症状に脅える。
少しずつ失っていく記憶。 会社の人間に悟られないようにと、会議や会話や取引先の相手の特徴などを記したメモをとりまくる夫。  そのメモでどんどん膨らんでくる背広のポケット。
アルツハイマーに良いとどこかで読んだり聞いたりした野菜や魚や玄米などを食卓に毎日並べる妻。
主人公は、日々の出来事を忘れないように日記をつけているのだが、 ときどき出てくるその日記に漢字のまちがいやひらがなが増えてきて、わたしたち読者も主人公やその家族とともにいっしょになって恐怖してしまいます。

最後の場面が美しく悲しいです。

妻に介護させるのがしのびなくて、 まだどうにか動けるうちにと、 介護施設の見学にひとりで出掛ける夫が、そのついでに学生時代に通った奥多摩の焼き物の窯を訪れる。
心配して探しに来た妻と吊り橋のところで出会うシーン。

素敵な女性だった。 
泣いているような横顔に、 同伴者とはぐれて道に迷ってしまったのかもと心配した主人公は、 力づけてあげたくて、 柄にもないせりふを吐いてしまうのだ。

「心配しないで。 だいじょうぶですよ。 この道で間違いない。 僕がずっと一緒にいきますから」

はい。 泣きます。
 
テレビでたくさん宣伝しているからご存知でしょうが映画化されてます。
主役を演じるのは、 えーと、 ほら。 あの、 ほら、あれ、 ラストサムライで外国の俳優と共演した、 ほらその外国の俳優というのは、 レインマンで弟のほうの役をやった、 ほらほらトップガンで主役をやった。 そう、トム・クルーズ! その人とラストサムライで共演した、 ほら、あの、 最初のひと文字は「マ」? いや違う、 「バ」だったっけ・・・?
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2006年08月16日

8月16日物語U : 荒廃の夏


以前 井上荒野の ヌルイコイの記事を書いたときに、
「こんな感じ、どこかで味わったような記憶がと思ったら、それは井上光晴で、 井上荒野は井上光晴の娘なんですね」 といったコメントをいただき、 それから井上光晴を読んでみたい! と思っていました。

近場の本屋さんを探したのですが見つからず、 ネットで探した書名で図書館に何冊かリクエストしたところ、 たまたまその本が私の住む町の図書館になかったのか、 それにしてもまず近隣の図書館から探していくとは思うのですが、 結局手元に届いたのは、 東京都立日比谷図書館からのもので1965年の初版印刷のものでした。
あまりの古さにページをめくるたびに何かほこりだけではない色々な思いや得体の知れないものがぱさぱさと舞い上がるような気がしてそーっと持ってなるべく大きく息を吸い込まないようにそーっと読み始めました。 

オンライン書店ビーケーワン:荒廃の夏

荒廃の夏 井上 光晴著 1965 河出書房新社、 1971 角川書店、 1980.4 集英社


時代背景は朝鮮戦争の頃。 20代でその時代を生き、 一時共産党員でもあり、戦後左翼文学の旗手として雷鳴とどろく存在だった(そうだ)著者によるこの作品を読んでいると、 その時代の生々しさが伝わってくるのですが、 あら、なんだかこの朝鮮戦争の頃の雰囲気は昨今の日本の雰囲気ととても似ていませんか・・。 

内容はさておき、 この小説がかもし出すこの雰囲気、 どこかで似たものを感じた記憶が。 誰かに似ている。 と思ったら、 あ、それは井上荒野。
井上光晴は井上荒野の父だったのね。 
な〜んてね、 スタートはそこでした!

不穏な空気。 なにかが起こりそうで起こらない。  起こったかもしれないけれど周到に隠されている大事な部分。  絵の中に隠された暗号を私は見落としたのではないか。 平和にコトは進んでいるように見せかけて地下では怖ろしい計画が進んでいるのではないか・・・と疑心暗鬼で自分の首を絞めてしまいそうな雰囲気です。

並行してしていくつもの場面がからんだ多次元的な構成に翻弄されているうちにどんどん引きずり込まれてしまって読み終わる頃には、 な、なんだったんだろう、これは・・・。 

やはり似てますね。 荒野さんと。
今の時代を舞台にこの不穏な空気を味あわせてくれる荒野さん。 
荒野さんてお父様に負けてないんじゃないかしら〜と思いました。
荒野熱が上がった私です。
posted by tsukikohime at 22:33| Comment(2) | TrackBack(0) | あいうえお | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月10日

7月10日物語U : 春も泉水もSPRING

伊坂幸太郎の作品の中ではかなり上位に位置する作品らしく、あちこちで賞賛されているようです。
それなりに楽しんだのですが、 ん〜、読んでいる間、 なんだろう、なにかに似ている似ていると・・・、 あ、 舞城王太郎 の 「煙か土か食い物」!! 

地方都市。 才能豊かな兄弟が謎に立ち向かっていく。 家族の絆。 美しい母。 暴力。 洒落たセリフ。  ユーモア。  文章のリズム感。 

それらが少しずつやわらかめで、 舞城さんの 「煙か土か・・」 より癖がなく、 読みやすいかもしれません。  舞城さんのおもしろくって息子や娘に薦めたかったのですが、 かなり暴力シーンが過激だったからねえ。  
え? あ、そう。 今、聞いたら二人とも読んだそうです。

オンライン書店ビーケーワン:重力ピエロ

重力ピエロ  伊坂 幸太郎著  2003.4  新潮社


遺伝子情報会社に勤める泉水(いずみ)は、 街の落書き消しを仕事としている弟の春と、 そして癌で入院中の父親も交え、 仙台市内で連続して起きている放火事件の犯人を挙げようと知恵と情報を出し合う。  春はその仕事柄、 放火現場付近に残されたグラフィティアートと事件の因果関係に気づいていたのだ。  そしてグラフィティアートに残っている文字と遺伝子の文字列が一致して暗号解読の鍵がつかめたかとおもいきや・・。

謎解きは難解ではなくミステリーというほどのものではなく、 どちらかというと家族小説。

幼い頃から仲の良い兄弟。  両親に愛され、 両親をこよなく愛している兄と弟なのだが、 2人は半分しか血が繋がっていない。  母親は同じだが父親が異なっている。 それを知ったのは10代の終わりの頃だ。

弟の春は誰もが振り向かずには入られないほど端正なルックスで、 頭も良く、 ユーモアもあり、 芸術的才能に秀でいて、 運動能力も抜群。
女性にモテる条件を揃えていて実際モテモテなのだが、 性的なものを激しく嫌悪している。
それというのも、春は母が連続レイプ犯に犯されてできた子供だったからだ。
泉水の父親は、 レイプ犯の子を宿した妻を励まし、 出産させ、 我が子として大事に育て、 泉水と春に分け隔てなく愛情を注いでいるのだ。
その温かさは、 家族間で交わされる会話やたくさんのエピソードから、 あふれ出てくる。 

ミステリーは添え物で、 家族小説だと思うのはそこのところです。

泉水は時折、 夢を見る。 悪夢だ。
弟の春が時間を遡り、 愛する母をレイプ犯から守ろうとしてバットでレイプ犯の後頭部を思い切り殴りつけている夢を。
夢の中で泉水は、 バットを遮り大声で叫ぶ。  「待てよ! バカ、 そんなことをすればおまえは生まれてこないんだぞ!」
しかし後ろを振り返れば、 まさに今、 母が襲われている。  
春と母を交互に見つめる。  どうすべきなのか・・・。

レイプ犯(つまり春の遺伝子上の父親)と、 連続放火事件と、 遺伝子の話とがどう絡まって繋がっていくのかは、 読んでからのお楽しみです。
レイプ犯 = 放火犯ではないことだけはお伝えしておきます。

これ、書きようによっては、 ものすごく深刻にして救われない悲しみで読者をいたたまれない気持ちに突き落として泣かせる、 というふうに 「青の炎」 ふうにも持っていけたなあとも思ったのですが、 それじゃ、 両親のあふれる愛が無駄になってしまうものねぇ。

最近、 家庭内放火殺人事件や家族間殺人事件が毎日のように報道されていて 「またなの?」 という感じですが、  子供を育てながら殺意もいっしょに育ててしまうとは。  親はそういうつもりはなかったはずなんですが・・。

「子供は育てたように育つ」 という言葉をどこかで聞いて、怖い言葉だなと思い、 そして忘れないようにしようっと、と思っております。
posted by tsukikohime at 23:11| Comment(0) | TrackBack(2) | あいうえお | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月15日

6月15日物語 : アンネの日記

オンライン書店ビーケーワン:アンネの日記

アンネの日記  アンネ・フランク著 / 深町 真理子訳  2003.4  文芸春秋

昨日、中一の娘が学校の図書室で アンネの日記を借りてきた。

おお、今の表紙はこうなっているのか。
私も中学生の時に読んだけれど、もう少し薄くて表紙は著者アンネ・フランクの顔写真だった。
白黒の写真のせいもあり、 掘りの深い外国人のやせっぽちの女の子の顔の眼孔がとても黒く窪んで見えて、 ちょっと、こんなこと言ったら申し訳ないけれど、 怖く感じた。  それにこの子は亡くなっているのだ。  それもアウシュビッツで。

日本が参加した戦争のことなど教科書でしか知らない中学生になったばかりの私には、目の前のこと ―明日提出の宿題や友達との遊びや好みの本を読むことや好きな音楽を聴くこと、好きな男の子の靴下の色のチェック― に忙しくて、 つまり、 その年頃を自分なりに活き活きと生きていたわけで、  表紙を見ただけで 『死』 の匂いがするこの本を自ら手に取るとは思えない。 多分、学校側から推薦図書とかなんとかで(読まされた)のだったと思う。

で、覚えている感想は、 「えっちぽかった」 だった。  当時の私には。
「えっちぽい」 という言い方は、あの頃はしなかったから、 どういう言葉だったか、 でもまあそんなドキドキした感じ。  
ところでどうしてあの頃、 (生理)を(アンネ)と大人たちは呼んだのだろう。 それ、すごく嫌だった。
表紙の暗さと、アンネの名前がひっかかって、 好きな本ではなかった記憶。

学校に提出する感想文には、 きっとそんな感想は書かなかっただろうな。
戦争の恐ろしさがどうの、とか、 私と同年齢の女の子がこんな辛い状況に生きたにも係わらず、 こんなふうに活き活きと日々を送ってそれを書き留めていることに感動したとか、 結びには、 だから戦争はあってはいけないのだとか、 そんな、 先生が読んで気に入るようなふうに書いたはず。

娘が借りてきた アンネの日記の表紙は 朝倉めぐみ の装画で、薄桃色で、 昔に比べてずっと手に取り易いものになってます。  (ルビを大幅に増やして、 中学生からお読みいただけます) とも書いてあります。 
そうか、 私が読んだものはルビが少なかったのに、 読んだ私はエライ!なんて思ったりして。  自分で読みたいものはルビなんかなくても(読めちゃう)ものだけど、 読みたくないものもどうにか読んだのね。
しかし、この厚さはどうしたことだろうと思ったら、 《増補新訂版》 と書いてある。 
昔、読んだものは短縮版だったらしい。
生還したアンネの父親の判断によって、 家族やまわりの人たちにたいする強い感情表現や、 性に関する表記が削られた短縮版だったらしい。 (それでも、私はえっちっぽいと感じた。 想像力が旺盛だったのか)

アンネは戦争が終わったら自分の書いた日記の内容を元に本を出版したいと夢見ていたそうで、  「本物の日記」 と 「自ら手直しした日記」 の両方を作っていた。 これは、 aテキストと bテキストと呼ばれるそう。 aとbをもとに父親が短縮し編集した第3ヴァージョンを cテキストと呼ぶそうです。
父親の死後に、aプラスbプラス他資料をあわせて完全版が出され、 その上1998年にさらにそれまで知られていなかった5ページ分の日記の存在が明らかになり、この増補新訂版となったそうです。

こんな説明、読んでくれる人は何人いるだろうか。
そして、私は、 よくやってしまうように、 これを読んでどう思ったかまでをついに書くに至らずに、 「では。」 と終わりそう。

でも・・やっぱりひとこと。
この日記は、信憑性が問われていた時期もあったそうで、 疑われてもおかしくないほどに良く出来た小説のよう。  生き延びていればどんなに素晴らしい作家になったことでしょうと思うほど。
自分が書いたものが本になることを夢見た13歳。 そして現在世界中でこんなに読み次がれていることを知らないアンネ。  
たくさんの人がこの本に感銘を受けたとしても本人は何も知らないまま。
ぶつんと未来を断ち切られてしまう。 
「死」とは、 そうなってしまうこと。
では。

  KINGYOYA(吉祥寺ハモニカ横丁内) 
kingyoya             
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2006年05月15日

5月15日物語 : 考えてみますか


5月ってなんだろう。
人間たちの元気がないように思う。

3月4月5月と進むにつれ、わたしもなんだか鬱々としてくる。

まわりの人たちも、しぼんでる気がする。

植物たちが活き活きとする季節。  周りには緑が日ごと鮮やかになっていくのに。

地球のエネルギー、 生命のミナモトみたいなものが、 植物や他の生き物たちにぐいぐい吸われて人間に回ってくる分が減っちゃうのかな。

人間は地球の主役ではないんだな、とあらためて思う。
地球の肥料にさえ今はわずかにもなることさえしてなくて。

春には、 人間は少しばかりおとなしくなっているのも、 それはそれで自然なことなのかもしれない。 

・・と、好きなようにオチをつけるつきこさん。

考えないでぼーっとするのも気持ちの良いものだけれども、 ずんずん考えていくのもおもしろい。  なんかね、とんでもない方向にまで行っちゃったりしますけど。



「考えろ考えろ考えろ」 が口癖の主人公。

昔、子供の時に観たテレビドラマ「マクガイバー」の主人公が何か困難にぶつかると、自分に言うセリフなのだそうだ。

世の中、なんか間違っていないか、 間違っていると思っているだけで行動しなくていいのか。 この国の政治はおかしくないか。 憲法改正問題はどうなんだ。 憲法の改正は国民の過半数の承認が必要だったはずなのに、 いつの間に 有効投票の過半数ってことになったんだ。  どこかおかしくないか、 どこがおかしいのだ。

俄かに登場する政治家・犬養。 この国を5年で変えて見せると言う。 実行できなければ首をはねられてもかまわないと豪語する。

この男であれば、 「自由の国」や「人口13億人の国」にも、 毅然とした態度で立ち向かってくれるのではないか。 

はじめ失笑を買っていた犬養だが、 国民の圧倒的な支持によって5年後には首相となっていた。

考えろ考えろ考えろ。

・・・ファシズムの始まりではないのか。 これは。
カリスマ性のある犬養は、 ムッソリーニと同じではないのか。

オンライン書店ビーケーワン:魔王  
魔王  伊坂 幸太郎  講談社 2005.10


他人に自分の思ったことを言わせる腹話術の超能力を身につけた兄が主人公の魔王と、その弟(彼も兄の死後から特殊能力を身につける)の恋人が語り手となった呼吸の2部構成になっていますが、 どちらもものすごく中途半端な終わり方をしています。  問題提起をいっぱい出してそのまま与えっぱなしにされたような・・・。

作者が言いたかったことは、「考えろ考えろ考えろ」 ということなんでしょうかね。
読者よ、 考えろ考えろ。 「君ならこのストーリーをどう続ける」 「彼に何をさせたい」 もしくは 「何をさせたくない」。 そして今の日本をどう思う?

う〜ん、 伊坂幸太郎は、憂いているようです。 

「考えてみますか?」 と言って、 我が家の2名の若者にこの本を渡しました。

2006年本屋大賞候補作です。 読むか読まないか、・・考えてみてください。
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2006年05月11日

5月11日物語 : 江國さんの東京タワー


江國香織の小説は何冊か読んだことがあるのだが、 例えば 「どんな感じ?」 と聞かれてもすぐには思い浮かべられなくて、 本を取り出して、ぱらぱらとめくって、 「ああ、こんな感じかあ」 と思っても、それを言葉にしようと思っても、ぴったりのものが見つからない。

「官能的」といえばあの人だし、 「透明感がある」といえばあの人だし、 「あたたかみのある」といえばあの人だし、 「匂い立つ」といえばあの人だし・・・ と、当てはめようとしてもすでに他の作家のほうがはっきりとその特徴を武器にしていて、 はて、江國さんらしさを説明する独特の表現はなんだろうと考えてしまう。

ひっかかりがなくて、悪くはないけれど印象が薄い。

・・と、これはつきこさんの感じ方なのであって、するとつまり江國さんの作品から共感を得る部分が私にはあまりないなのだろうな。

登場人物の年齢とか、 属する社会とか、 恋愛対象人物の設定とかが、私にとってリアリティがない、 とそうゆうことを言っているのではなくて、 洒落たセリフに感心したり、登場人物の思考に、うんうん、そうゆうのってあるわよね、わかるわかる、と思う部分もたくさんあるのだけれども。

とりあえず 備忘のために軽くメモを。

透と詩史、耕二と喜美子、 対照的なタイプの20歳の大学生と、 それに見合ったタイプの年上の女性との恋愛(不倫)話。
透と詩史の恋は、 生活感を感じさせないぎとぎとしてない恋で、 耕二と喜美子は、 肉欲にはまっていくような恋。 

透と耕二が友人同士で、 ふたつの恋に交差はないけれど、 透と耕二の主観で語らせることによって、その対照的な恋愛が浮き彫りになってきます。

透と詩史。
耕二と喜美子。

わかりやすい名前のつけかただなあ。

映画では 透・・岡田准一、 詩史・・黒木瞳。  
      耕二・・松本潤、 喜美子・・寺島しのぶ

わかりやすいキャスティングだなあ。


文章力もある。 感情の表現も上手。  

でも、 食い込んでこないのよね。 「あ、そうですか・・」 と読み終わりました。

          オンライン書店ビーケーワン:東京タワー  
   東京タワー  江国 香織  マガジンハウス
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2006年04月12日

4月12日物語 : お腹召しませ


「現代のサラリーマンの 『月給と賞与』 という給与体系も武士の 『扶持米と切米』 を引き継いでいるもの。
幕末も今も、人の生き方はほとんど変わらないということを描きたかった」

幕末から維新にかけてを舞台に 浅田次郎が描く侍たちの6編の物語。

オンライン書店ビーケーワン:お腹召しませ  お腹召しませ  浅田 次郎  2006.2

表題作の お腹召しませ。 
入婿が藩の公金に手を付けた上、新吉原の女郎を身請けして逐電。 お家を保つために御留守居役が出した名案は「腹を切れ」。

屋敷に帰り報告すると妻は、 なるほどそれは名案、 旦那様のご決心でお家の危急が救われるのであれば、 まさしく男の死に処でござりましょう、 「お腹召しませ」
娘からも、 後のことは心配なさらず、 「お腹召しませ」

死にゆくもののひがみなのか、 妻からも娘からも少しも悲しんだ様子が感じられず、 せっつくように 「お腹召しませ」 と言うその顔は晴れがましいようにさえ見える。

数刻ののち、 奥の間の畳はすでに裏返され、 白木綿が敷き詰められている。
ごていねいなことに、 敷布の下には油紙まで挟みこまれていた。
いったいどこで手配したものか、 浅黄色の肩衣までが揃えられており、 妻子の手でたちまち死装束に着替えさせられる。

「遺書を書きおえられましたら、 それなる茶漬と御酒を一合、 お召し上がり下されませ」
「ほう。 何から何まで手回しのよいことだな」
「腹がすぼんでおると、 切先が通りにくいと申します。 それに、 御酒を召し上がりますれば血の出がよろしいと―」


それぞれの物語の導入に浅田氏の語りが入り、 現代人の生き方につなげて幕末の時代に物語が移って行くという手法が取られている。

短編中の1作 「大手三之御門御与力様失踪事件之顛末」。
大手門を護衛する門番が勤務中にもかかわらず、忽然と消えてしまった。

この物語のまくらに、 夜更けの酒場で携帯電話の脅威について浅田氏が友人たちと論じ合っている場面が出てくる。
携帯電話は驚異の発明ではなく、 脅威である。 プライバシーの自由と安全を保障する利器でありながら、 同時に個人の自由と安全をあやうくするという二面性を持っている。  つまるところ伸縮自在の首縄の端を、 家庭と会社に握られているようなもので、 この姿はどう見ても人間的ではない。 
大の男がどこで何をしていようが勝手だろう。   いっそ電源を切って、 しばらく神隠しに遭うというのはどうだ。
神隠し―不在の自由を失ってしまったわれわれにとって、 何とも魅惑的な言葉である。

・・と語って物語に入る。 うん、いい感じ。 

立身出世のために、 若い頃心底惚れあった女を捨ててしまった。 その女が女郎に身を落とし、いま死の床にあるという。
男なら男としての務めを果たさねばならぬ。  惚れた女を捨てた罪の上に、 男としてのほこりまで捨てる罪を重ねてはならぬ。 しかし、どうすれば妻子や周りのものに怪しまれずに何日も家を空け女のそばに居てやり、 帰ったのちも咎められることなく済ませられるだろうか。 
考えた末の 「天狗の神隠し」。

新しい作家のものを、 うーん、 この人と私は相性はどうかなあと思いながら読んでいくのも楽しい(たまに辛い)作業ですが、 浅田さんは、確実に充実した物語世界に連れて行ってくれる安心感があるから、 気がラクです。
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2006年04月10日

4月10日物語 : 愛なんかいらねーはいらない


前回、絲山秋子の 逃亡くそたわけ を読んで、 その勢いでニート も読んだ。

ニートについて、もう少し知りたかったし。

 オンライン書店ビーケーワン:ニート  ニート 絲山 秋子 角川書店 2005.10

ニート(NEET) = Not in Employment, Education or Training
  ・・・ 職に就いていず学校機関に所属していず、そして就労に向けた具体的な動きもしていない15歳〜34歳の未婚者を言うらしい。 ついでに「家事もしない」 も含んでいるらしい。

34歳というのはどこから来ているのだろう?  35歳を過ぎれば同じ状況でもニートとは言わないの? などとそういうところが気になるわたし。

これ、面白いよ! と 逃亡くそたわけ を子どもたちに勧めたが、 ニートは読後あわてて引っ込めた。

別にニートになってもらいたくないからではなくて (なってもらいたくない。 今のところその素質はないということはわかる)、 最後に収められた 愛なんかいらねー が、ひどい話だったからだ。 文学的にどうの、ではなくて、 性的表現に不適切なもの・・いや、表現ではなく、 なんと言ったらよいのか、つまり、 スカトロ変態セックスの行為が具体的にながながと出てきて、 読んでいて気分が悪くなってしまった。 
肝心のニートという話とその続編である2+1 と、 ベル・エポック、 へたれ については、 人間関係の希薄さとエゴが云々・・と感想を書こうと思ったが、 ラストの愛なんかいらねー のショックで、 どうまとめていいのかやら、その手前までの短編の読後感がすっ飛んでしまった。 
どこかでうっかり手に取ってしまったら後の祭りで仕方ないけれど、とてもとても中学生には読んでもらいたくないわ―。

ニートの抱える問題、 社会が抱えるニートの問題の何がわかるというニート解読の本ではないことは確かです。

小説家のプライベートと書く世界を安直に結びつけたくはないけれど、 絲山秋子さんが 便器のフォルムが好きで、 住宅設備機器メーカーを就職先に選んだほどの 「便器オタ」 とはどこかで読んでいたので、しっかり結びついてしまいました。 

愛なんかいらねー は、 そのネタじゃなくても書きたいことを表す方法は他になかったのか・・と疑問に思いましたが、絲山さんの小説はどこがどう良いのか説明しにくいけれど気になってまた読んでしまいそうです。 
でももうあのネタはいりません。
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2006年04月09日

4月8日物語 : 逃げろ!


タイトルと題字と装画がこの物語のスピード感をあらわしている。


オンライン書店ビーケーワン:逃亡くそたわけ  
逃亡くそたわけ  絲山 秋子  中央公論新社

一度読み出したら最後まで止まらないノンストップロードムービー観光小説とでもいうのか・・。

「亜麻布(あまぬの)二十エレは上衣(じょうい)一着に値する」

その言葉がまた聞こえてくる。
幻聴に悩まされる躁の花ちゃんは精神病院を脱走することに決めた。 
テトロピンという強い薬を飲まされ続けたら廃人になってしまう。
最初はひとりで逃げるつもりだったが、 中庭の隅で悲しそうな顔で野良猫と遊んでいる鬱の茶髪のサラリーマン、なごやんを見て 「一緒に逃げよう」 と誘ってしまう。

強引な躁の花ちゃんと、弱気な鬱のなごやんの逃避行だ。

なごやんのアパートに寄り、 おんぼろ車となごやんが溜め込んでいた薬をかき集めて逃亡は始まる。

バリバリの福岡弁の花ちゃんと、頑なに標準語で通す名古屋出身のなごやんの会話がおかしい。 なにから逃げているのか、 どこへ向かっているのか、 本当に逃げなくてはならないのなら九州の名所を観光したり名物を食べたりしていないで、 本州に逃げればいいのに、 福岡から大分、熊本、宮崎と通って鹿児島へと車を走らせる。
ふたりは途中、けんかしたり、はしゃいだりしながら、花ちゃんは無免許で運転をするわ、 畑の野菜を盗むわ、 人の高級車にぶつけて逃げるわ、 食い逃げはするわ、 万引きはするわで、 逃げる材料をどんどん増やしていきながら逃げていく。 

女子大生の花ちゃんと24歳のサラリーマンのなごやんは何日もいっしょに逃げ、車中泊したり、温泉旅館に泊まったりするのに、ついに男と女の関係にはならなかった。  

「セックス・シーンもなく登場人物は誰一人死なない」小説を書きたいと風の歌を聴け(村上春樹)に出てくる「鼠」 は言ったが、 まさにこれはそうだった。 
やたらと人を死なせたり、男女のムツゴトを書かなくても、ちゃんと読ませる小説になるじゃない! と嬉しくなった。 

ふたりのやりとりがおかしくて笑ってしまうシーンが多いのだが、 躁や鬱の苦しみが出ていたり、 もうすぐこの逃避行も終わりに近づいているとふたりが感じてくる最後のあたり、 涙腺を刺激され、寂しい気持ちになりました。

詳しいことは書けないけれど、 なごやんて本当は病院から逃げる必要はなかったの。
だけれども、 「逃亡」 はふたりにとって意義あることでした。  
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2006年04月02日

4月2日物語 : 淡白です


タンゴが響きわたる20世紀初頭のブエノスアイレスから、神戸、東京、そして満州へ―。 日本人移民としてアルゼンチンに育ち、女優として大輪の花を咲かせたツキコの波乱の半生を描く大河小説。

父の突然の死、 ただ一人残された肉親、 弟の眞一郎との強い絆、 幾多の激しい恋、 演劇との出会いと心血を注いで作り上げたみずからの舞台・・・。

すみません、 どこかに書いてあった書籍紹介レビューまんまです。

オンライン書店ビーケーワン:ツキコの月 角川書店
 

ツキコの月というタイトルが気になっていつかは読んでみようかなとは思っていましたが、 伊集院静が舞台用に書き下ろしたものだとは聞いていたので、 どんなストーリーかな? と思うくらいで最初から小説としては期待していなかったのです。
やっぱり苦手ですね、お芝居用、映画用に書き下ろしたものは。
文章としての味がないんだもの。
視覚や聴覚があってこそ生きるように書かれているから。 
やはり私は純粋に小説、文学が好きです。
文字だけの情報を脳に送り込んで自分で好きなように解釈して、視覚化、音声化して楽しみたい。

舞台では2005年秋に 「ツキコの月 そして、タンゴ」 という題で、森光子・東山紀之の噂のコンビ(?)で演じられたらしいですね。
たぶん85,6歳になるだろう森光子が17歳の役でタンゴを踊るそうです。
すごい!  私もスクワットでもしようかしら。

今日は淡白です。
あ〜、小説読みたい!
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2006年04月01日

4月1日物語 : 桜


夕食時に嬉々として箸を運ぶ子供たちを見ながらぷふふっと笑ってしまって子供たちに気味悪がられた。
「なによ、お母さん」 「気持ち悪いな、どうしたの」

ここ数日体調が悪く、 満足のいくものを出せなくて鬱々としていたのだけれど、 今日の昼に、 キャベツとベーコンのスパゲッテイ、 春雨のスープ、 水菜とトマトとツナのサラダを用意して、 君たちがとても喜んでくれて、 お母さんは茶碗を洗いながら、 さあて夜は何を作ろう、 そうだ、 昨日読んだ 岩阪恵子 の 掘るひと にも出てきた鯛のアラとごぼうの煮付けを作ろう、 それからそうね、 ハマグリのお吸い物も欲しいな、 菜の花のお浸しもいいわね、 なんだか春らしいものをたくさん作りたくなった、 春ね、春だもの、 そうだ買い物に行く時に近くのキリスト教大学の桜も見てこう、 きっと今日は見ごろ、 桜餅もデザートに買ってこようかしら、 それとも苺とヨーグルトにしようかしら、 そんなふうに思って、 こうやって夕食が出来て、 君たちも美味しい美味しいと食べてくれる、 そんな顔を見ていたら、 ああ、私ひとりだったらこんなに料理なんかしなかったわね、 美味しい美味しいと食べてくれる人がいるからこそなのよね。  ああ、 「ありがとう、 生まれてきてくれて」 と思わず言いそうになって、 そんなこと今いきなり言ったら、 「なんだよ、 いきなり、 変なお母さん」 とか 「お母さん、 やっぱり変なひと」 とか言われちゃうだろうな・・・と、考えていたら、 ぷふふっと笑ってしまったのよ。

と、話したら、結局 「やっぱりお母さん、 変なひと」 と言われてしまった・・。


岩阪恵子 の 掘るひと の中の9つの短編は、 台所や料理をすること、 食べること、 食べ物などに少しずつ関連するような物語ばかりで、 岩阪恵子さんも茶碗を洗い、 里芋の泥をたわしでこそげ、 ネギを刻みながらこれらの物語を構築していったのかもしれないなと思った。

オンライン書店ビーケーワン:掘るひと  掘るひと  岩阪 恵子  講談社

・掘るひと
・マーマレード作り
・タマゴヤキ
・雨通夜
・ねこめし
・母のほうへ
・包丁とぎます
・指輪
・流しの穴

表題作の 掘るひとの話では、 庭にせっせと穴を掘る主婦が出てくる。 幅50センチ深さ1メートルほどの。
主婦は普段義母と二人と暮らしていて、単身赴任の夫が一ヶ月に一度ほど帰ってくると、義母は下にも置かないもてなしぶりで、彼が返事をする気もなくほどまとわりついては話かけるのだ。 夫は妻に、「普段おふくろと話をしてやっているのかい?」 と聞いてきたり、 「自分の母親を女房に押しつけておればかりが気ままにしている・・・・そう思ってるんだろう? 思うなら勝手に思えばいいさ」 などと言う。

主婦があの穴に義母を埋めちゃう話になるのかと思ってしまったが (こういうのを 「本の読みすぎ」 と言うのかも)、 そうではなく、ただ生ゴミを処理する為に掘っているだけなのだが、 自分では変えようのない現実をただ受け入れ、 不満や不平などを生ゴミと一緒に深い穴の中に埋めていると言う事なのだろう。

献立を考え、 食材を買い、 洗い、刻み、煮、焼き、炊き、 後片付けをし・・を10年も20年も30年も毎日くり返してきた中年や老年に差し掛かる女たちの、 こうやってこのまま、 夫や義母の世話をしたり子供を育て上げたり、 嫌な親戚と付き合ったり、 愛想のない隣の人と会釈をしながら、 一生なんて終わっていくのだなという、 諦めにも似た寂しく重い空気とドブのような臭いがふつふつと排水溝から登ってくるようなお話たちでした。
 
岩阪恵子さんは、 もとは(今もかもしれない) 詩人だそうです。 これらの作品も、 日常の、うしろうしろへと流れて忘れてしまうような小さな出来事を詩人の目で切り取り、 くっきりと生々しく静かに差し出してくれます。  静かな文章だけに、 無口な人が実はたくさんの灰色の思いを抱えていることに気付かされたときのような小さな怖さを感じました。

主婦ね。  まあ、 そんなもんかもしれないけれど、 私はもう少し人生を面白く受け取りながら、 積極的に楽しんでいきたいな。

4月1日 ICU大にて
posted by tsukikohime at 23:39| Comment(6) | TrackBack(0) | あいうえお | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月17日

3月17日物語 : 小説家志望の方へ


初めての作家のどの作品を最初に手にしたかによって、今後の彼(彼女)とのお付き合いが始まるのかどうかが決まるわけだけれども。

作家本人が、 
「どうしてあのようなものを書こうと思ったのか記憶にない。 気紛れだったのだろう。」 
と言っているいつもとは毛色の違うという作品がその作家との出会いの作品になってしまっていいものだろうか? 
ま、仕方がない。 そうなっちゃったんだもの。
 
それに 「ミステリー作家」の「ミステリー」だったら、ずっとご縁がなかったかもしれない。

有栖川有栖 の 作家小説

オンライン書店ビーケーワン:作家小説  作家小説 有栖川 有栖〔著〕 幻冬舎

有栖川有栖 を始めて読んだ私には、  「あのミステリー作家の有栖川さんが」 みたいな比較ができないのですが、 ブラックユーモアを含んだ軽い読み物として楽しめました。 
筒井康隆に似ているかな。

作家という職業を主題にした短編が8編。
作品を生み出す作家の苦悩は、けっこうおもしろいネタになるだろうなと思って、多分、ブラックに笑わせてくれるだろうと期待したとおりです。

有栖川さんは、 「本書に収めた作品は、 ミステリでもホラーでも冒険小説でもなく、 SFでもファンタジーでも漫才(?)でもない。」 と書いてますが、 読んで楽しめたからには私にとってもジャンルなど、どうでもいいです。

この中では 「サイン会の憂鬱」 というのと、 「書かないでくれます?」 が面白かったです。
「作家漫才」 という話は、売れない小説家ふたりが 芥川正助(あくたがわしょうすけ)と 直木正太(なおきしょうた)という名で漫才コンビを組んで、 作家業、 出版業界、 評論家のことなどを漫才ネタにしているという話なのですが、 なんか単純に笑えました。

有栖川有栖のミステリーも笑えるの?
今度、読んでみよう。
と、思ったのだから、 まあ良い出会いだったのではないでしょうか。

小説家をめざして一生を棒に振っちゃいけないよ、たとえひとつふたつ賞を獲ったって、食べてはいけないんだし、そのあとも締め切りや創作の地獄の苦しみを味わう事になるんだよ・・・と、作家志望の人に夢を諦めるよう説得しているような本でした。
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2006年03月15日

3月15日物語 : 移動図書館


読んで 「こ、これは・・・ んー、なんといったらいいのか・・・、つまらんぞ!」  というものを記事にするのって、もうすでに、その作品に対して、何か考える気も起こらないので文章にしにくいのですが、 だから、過去にここに書いたイマイチ本は、ぴんと来なくても書けただけマシだったというくらいなもんで。
読んでも記事にしないで闇に葬ってしまったものも結構あります。

「勘が鈍い」 ことがバレテしまうので恥ずかしいというのもあります。

うちの近くに2週間に一度、すごく便利な 「移動図書館バス」 というのが来ます。 大型のマイクロバスに本棚がしつらえてあってやってくるのですが、図書館まで行く時間がない人や行くのが困難な状況の人達にとってはとても楽しみなバスです。 何が積んであるかはお楽しみ。

市内には立派な図書館がいくつもあるのだからと、いちじ、廃止の動きもあったのですが、どうにか食い止められていまだ健在です。

杖をつきながらリュックを背負っておっちらおっちらやってきて毎回嬉しそうに推理小説を何冊もつめて帰るお年寄りの姿や、 乳飲み子を背負って育児や料理の本を選んでいる母親や、 幼稚園帰りにやってくる子供たちを見たら、 誰だって廃止すべきではないとわかるでしょう。

私はそのバスがやってくる時間に間に合うときは極力出かけます。
リクエスト用紙をそのバスの人に渡すと2週間後に持ってきてくれるのです。

リクエストした本だけを受け取って帰ればいいものを、「借りられた本の総冊数が多ければ多いほど、このバスは廃止から遠ざかる」  と聞いておりますもんで、よーし、私にもできることだわ!  何冊借りて良いんですか?  え?  持てるだけ?
よっしゃー! と、 短時間で背表紙だけで判断して、どかどか借りて帰る。 聞いたことのない作家でも借りる。 
うー、 舌切り雀のお話の欲張りなばあさんみたいだなー、なんて思いながら大きめの紙袋ふたつに詰めてひーひー言いながら帰る。

家に帰ってから、リクエストした本と、たまたま見つけた“読みたかった本” と、 背表紙だけで選んだ本を取り出して、あらためてゆっくり眺める。
これが楽しい。 うっひっひ、なんて気持ちで、 うーん、やっぱり舌切り雀のばあさんだなあ、こりゃ。

で、舌切り雀のばあさんほどには痛い目にあわないけれど、 10冊に1冊くらいは、 なんだいったいこりゃあ、みたいな目にあう。

ここまでひっぱっておいて紹介するのも著者に失礼なことかもしれないかしらんと思いますが、つきこさんのタイプではなかっただけでありまして。
「備忘録」でもありますので、 こんなものも読んだっけかなーということで、 今後は、なんだいったいこりゃあ、時間を無駄にしてしまったよ〜(泣)本も記録していこうかと思っております。

オンライン書店ビーケーワン:紙飛行機ドライブ 紙飛行機ドライブ 衛藤 美香著 文芸社

映画化を想定してるようなお話でしたね。 天国の本屋みたいな。 ラヴレターみたいな。 せかちゅーみたいな。。。  誰だろう、衛藤美香(えいとうみか)って?
わたしは聞いたことがない。
うしろの著者プロフィールを見ると、 

1980年生まれ。
大分県在住。
好きな映画監督は岩井俊二。

しか書いてない。 脚本家の卵かな?  ・・でした。
posted by tsukikohime at 23:58| Comment(2) | TrackBack(0) | あいうえお | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

3月14日物語 : 吾妹子哀し


先日、新聞の人生相談の欄で、 90歳目前の男性の 「妻を2年ほど介護したあと、体力がついていかず、妻を施設に入所させたが、 自宅介護のおり、認知症でおかしな言動をする妻に暴力をふるってしまったこと、そのときの妻のきょとんとした顔などが思い出されて、後悔の念で夜もろくに眠れない、どうしたら私の心は癒されるだろう」 というのを読んだ。

90歳が90歳を介護する。  
これ、日本の現状はおかしいですよね。

介護施設でヘルパーとして働いている友人がいるのですが、 時給はマクドナルドでアルバイトするより低いと聞いて驚きました。 
認知症や老人の病気などに対する知識も必要だし、精神的にも安定している人でないと難しそうだし、体力的にもきつい。 続かずに辞めていく人が多いってわかりますよ。

オンライン書店ビーケーワン:吾妹子哀し  吾妹子哀し  青山 光二著  2003.6  新潮社


アルツハイマー型認知症で、妻は記憶を喪いつつあった。失禁や徘徊を繰り返し、その介護にあたる老作家の夫。

齢90を前にした夫は、老いた認知症の妻を、あるときは涙し、あるときは愛しくて抱きしめる。

90歳間近の夫の体力と気力がすごいなと思いました。
そして記憶力。

妻はどんどん過去を失っていく一方、主人公は若き日の妻との衝撃的な出会い、駆け落ちのことなど過去の思い出を鮮やかに蘇らせていく。

川端康成文学賞を受賞した作品ですが、 これのすごいところは実体験を基に書いているというところ。  
青山光二が執筆したのが満90歳のときなんですって。
 
60年以上も前の妻への激しい愛の想いを回想している部分と、ふと現在に戻りアルツハイマーの老女を見やる視線の部分が上手に組み合わさって、読ませてくれました。

嫉妬心を忘れない女の部分、 童女のような愛らしさ、 「わたしって、あなたが好き、いちばん好き」 などと甘える老妻、 添い寝してキスして抱きしめてセックス(ちょっと驚き!)もする。 


  (自分の愛に責任をもたなければ―) ・・略・・
  それが人間というものではないのか。 あのように全身全霊をかけた
  自分の愛を今も疑うことはできない。
  あの愛は記憶の中にあるだけかというと、 そうではない。 
  今も愛は生きている。
  それなら人間らしく、 愛に責任を持たなければ―。  
  時の流れがとまるまで。 
  Till the end of time
  Till the end of time

そうは言ってもね。 青山さんはできたかもしれないけれど、ふつう、90歳にはどんなに愛があったとしても、 キツイでしょ。
辛いでしょ。  
だから痛ましい事件が頻繁に起こるんですよね。
新聞に載らない悲しいはなしは山のようにあると思いますよ。
posted by tsukikohime at 02:18| Comment(4) | TrackBack(1) | あいうえお | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月28日

2月27日物語 : オロロ畑でつかまった


コピーライターという仕事は消費者の心を掴む言葉を考え出すのが仕事だから(それ以前にクライアントの心を掴まなくてはならないが)、コピーライター出身の作家はこれほど読者を惹きつけて掴んで離さないのかしら。

「言葉を駆使してなんぼ」の世界で鍛えられたからだろうか。

奥田英朗もコピーライターだったが、荻原浩もそうだった。 林真理子も。

ただ林真理子の作品は以前にここに書いた 長ネギが出てくる話で嫌悪感を抱いてしまったためそれ以来読んでいないのでよくわからない。
あれはなんだっけ。  えーと 「白いネギ」という短編だ。  うっ、思い出してしまった。
林真理子も上手いらしい。 
ほとぼりが冷めたらまたチャレンジしてみるかも。  いつほとぼりが冷めるだろうか。

もちろん、すぐれたコピーライターが全てすぐれた作家になれるわけではないけれど。

奥田英朗にも荻原浩にも感じられるのは、人間に対する暖かさや優しさだ。 弱者に対する優しい目。 強い人の中の弱い部分もきちんと嗅ぎわけられる嗅覚。

ちょっと古い本だけれども(もう9年になるのかー)また読み直して荻原浩って、最初からうまかったのねーとあらためて感心したので書きます。

オロロ畑でつかまえては、荻原浩がまだ現役のコピーライターをやっていた時に書いたもの。  

オロロ畑でつかまえてで第10回小説すばる新人賞 (1997年度) を受賞してデビューし、脚光を浴び、そのあとも順調に作品を出し順調に売れていたのに、驚いた事にコピーライターの仕事を6年位続けていたそうだ。
作家だけでは食べていけなかったからだそう。

作家ってひとつふたつ賞を取ったくらいでは食べていけないのね。 大変なのね。

賞を取って少し売れ出したからといって 「僕は作家だ」とすぐにもとの仕事を放り出さないところが堅実だと思う。 そんなことしてつまらないエッセイで食いつなごうとしなかったあたり。
そんなふうに小説でデビューしたのにいつのまにかエッセイストやコラムニストになってしまって 「え、あの人、昔、小説書いてたの?」 なんて言われてるような人もいるし。

オロロ畑でつかまえてはユーモア小説だ。

ドタバタ劇で笑わせつつ、ちょこっと風刺も織り交ぜて、人情話でほろりとさせて、憎たらしい悪役をぎゃふんと言わせて、さわやかに終わる。
ユーモア小説の典型的なパターンだが、まったく飽きさせずに、新人だなんて忘れてしまったくらい安心して楽しめました。
ジェットコースターを降りたあとしばらく笑い顔がおさまらないような気分に似て 「娯楽したー」 という読後感でした。

どんなストーリーだったかは書きません。

選評者の井上ひさし氏のことばだけを紹介します。

「文章は軽妙にしてユーモアに満ち、話は風刺の力にあふれて爽快であり近ごろ稀(まれ)な快作である。 こういう作品に余計な選評は不要、 とにかくお読みになって、 読者それぞれの立場でたのしんでいただければよい」


オンライン書店ビーケーワン:オロロ畑でつかまえて オロロ畑でつかまえて 荻原 浩著 集英社 1998.1
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2005年12月31日

12月30日物語 : 温かいもの


待ち合わせに30分早く着いてしまったから、 近くの神社の境内を覗いてみることにした。

どんどん人がやってきてずんずん狭い階段を登っていく。

階段を登りきると狭い参道の両側には露店がずっと並んでいた。

そこを通り過ぎると、 お守りや御札を販売しているところまで新たな行列が出来ていた。


「早稲田に着きました。 つきこさん、今どこに居ますか?」

「近くの穴八幡という神社に居ます。」

「そこに行きますから待っていて下さい。」 と電話が切れた。


そこに行きますからと言われても、こんな人込みの中、探し当てるなんて無理じゃないのかしら。

電話をかけ直すが、なぜか繋がらない。

見つからないから出てきてくださいとか、 目印になりそうな場所を決めてくださいとか、 そのうちまた電話をかけてくるだろうなんて、呑気な気持ちで露店を覗いたり、 時々背伸びして辺りを見回してみた。 焼きそばやお好み焼きの匂い。

まだよね。

十二支の根付を売っているお店があって、立ち止まる。

種類もいろいろあって、なんてかわいいんだろうとあれこれ手に取って見ていた。


ふと確信を持って一方向を振り向き見た。

人込みの中、彼が居た。  見つけたとき彼も同時に私を見つけた。

本当に同時に。  にこにこと近づいてくる。

露店が連なっている通りは人が無秩序にあちらにこちらに歩いていて、立ち止まる人もたくさん居て、その中を彼は私の目を捉えたまま歩いてくる。

映画で見たことがあるみたいに、 周りの人間も景色も白黒で彼だけが総天然色だった。


やがて私のもとにたどり着いた彼に言った。


雑踏の中でアナタは背が高いから見つけやすくて便利ですね。


つきこさんは普通の背丈ですが、どんな雑踏の中でも僕はアナタをすぐ見つけられます。

言葉が返せなくて黙っていると

つきこさんはつきこさん色しているから、と言う。


あ、これはデジャブ。  いつかどこかで誰かとこんな会話をしたことがあるような。


彼は、つっと手を取り歩き出した。

ああ、温かい。  

生まれた時からずっとそばに在るべき探していた正しい温かさ。


「ここはね、 冬至から節分の間だけ、お守りを手に入れられるんですよ。」

さっきのデジャブ感覚は、なんだったのだろうと思いながら歩いていた。

「金銀融通のお守り、だそうです。」

「金銀融通?」

「はい、 どんなに困っていてもここのお守りを持っていれば、どうにかなる、そうです。」

「経済的にどうにかなるってこと?」

「はい。」

「ああ、それで、お正月前なのに混んでいるのね。」

「つきこさんは何も知らずに入ってきてしまったのだからお導きかな。 お守りを買っていきますか?」

「そうですね。 お導きですね。」  あ・・ 思い出した。 デジャブ。

「どうしました?」

かすかな 「あ」 だったのに聞こえたのかしら。

「いえ・・・ちょっと、 何でもありません。」

「つきこさん。 今の(あ)は いい感じの(あ)でした。」

そんなふうに言われるとしばらく自分のつま先しか見れなくなってしまう。

黙っていたら、 「位置を変えましょう。」 と言う。 

「今度はそっちの手を温めます。」

「あ、ありがとうございます。」

「つきこさんはね、」

「はい。」

「子供の時から、お手々が冷たいようって泣いてたつきこさんでしょ。」

私を女にしたり子供にしたり、ときに母にもする。  だからアナタから離れられない。




デジャブではなかった。  ずっと前に読んだ小説だ。

あれはなんの小説だったかしら。

夕方、家に帰ってから探してみる。

確か、女性の作家で、あれは・・・と何冊かページをめくってみて、見つけた。


    約束の六時五十分ぴったりに、深町直人は現れた。 背が高いので、
    雑踏のなかでもすぐにわかるので便利だ。 
    私がそう言うと、深町直人は笑って、
    「こと子ちゃんは小さいけど、雑踏のなかでもすぐわかるよ。」   
    と言った。 
    私はどう返事をしていいかわからなくて黙った。


ふうん、これだ。

江國香織流しのしたの骨


おっとりしているけれど頑固な長女のそよちゃん、 不運な人ばかり好きになってしまう次女のしま子ちゃん、 夜のお散歩を習慣としている19歳の私こと子、 笑顔が健やかで一番平らかないくつになっても姉たちの ”小さな弟” の中学3年生の律。

やさしく温かな母、 大黒柱の威厳を持つ家族想いの父。

ちょっと変だけれど幸福な宮坂家の物語。


どこも変じゃなかった。  うん、ちょっと変かもしれないけれど、誰だって自分んち以外はどこも自分んちとは違うんだもの。

だけど宮坂家は確かに幸福な家族だ。


そよちゃんはそよちゃんという名に相応しく、 しま子ちゃんはちゃんとしま子ちゃんだし、 こと子はやっぱりこと子だし、 律は律。

こと子の恋人は深町直人しか在り得なくて、 そよちゃんが別れると決めた夫は津下さん。

そしてなによりも、父は父で母は母なのだ。

父はどっしりと父で母はすんなり母なのだ。

嫌なこと辛いことがあっても、家族が思いやりの暖かなコートで包み込む。


読んでいて温かい気持ち。    振り返って探す。

読んでいて懐かしい気持ち。   振り返って探す。


読んでいて、振り返って、探そうとして・・わたしは幼子に戻り、探そうとして、思い出せなくて、思い出してしまって、数えるほどしか、 数えられるほどしか見つからなくて。


温かな家族の物語は私を乱暴にくしゅくしゅちっちゃくさせて、どうして温かな心地に冷気を吹きかけるようなことになるのだ私は、と物語の良さを素直にわかる自分と拗ねている自分に、なんだか漫画によくあるような天使の自分と悪魔の自分が言い争っている絵図が浮かんで、 やれやれまいったなこりゃなどと本と閉じて声に出して言ってしまう。


小説ってものは、まったく恐ろしくへんてこだ。  
作者のものじゃなく、読んだ人のものに自在に姿を変えてしまう。


本を閉じると私は急いで現在の私に戻って母となる。

母で在ることは幸福だと感じる私に、温かくなる。  温かくなる自分にやっとほっとする。


オンライン書店ビーケーワン:流しのしたの骨 流しのしたの骨 江国 香織著




 
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2005年12月04日

12月4日物語 : 20ページの人生


「ホラーな夫婦ばかりじゃないでしょ。 僕の周りには けっこう幸せそうにやってる夫婦も家族もいるよ。」

「不幸せな夫婦って言ったのではないわよ。  ホラーな夫婦って言ったの。」

「君は世の中をななめに見過ぎてないかい?」

「あまり良いお手本を見てきてないからかしら。」

「それも可哀想なことだね。」

「そうかな? そんなこと感じてはいなかったけど。」

読書でいろんな人生を見れるし。


色々あったけど、 まあまあな人生だったよねということに大方はなっていくのかしら。



昭和35年。

20倍の抽選に当たって団地に越してきた若夫婦。  

団地のどの部屋にも幼い子どもたちがいて、 新しい環境と新しい畳の匂いに包まれて。  お風呂まで付いた文化生活が手に入ったのだ。

今まで払っていた家賃よりも安い家賃で何倍もの広さの部屋に住める幸運。

ゆとりができたから団地の人々は早くからテレビを買うこともできた。

「日立の14インチ。 今週中には届くぞ」 夫は誇らしげに腕組みをした。 


週末には紙芝居がやって来た。  夏にはアイス・キャンデー売りが、 冬には焼き芋屋が、 夜が更けると夜鳴きそばが来て、 チャルメラを吹いた。

広い団地の敷地のあちこちに点在する公園。  豊かな緑。  春には桜が一斉に咲き、 秋は欅が赤く色づいた。

いままさに高度成長期が始まろうとしている時代。


ベランダから下の公園で遊ぶ子供たちを見下ろし

「ねえ、あなた。」

「なんだよ。」

「幸せって、 目に見えるのね。」

これ以上の贅沢は何もいらない。  もう、何も欲しくはない―。


環境のせいだろうと思う。 広い敷地に豊かな緑。  子どもたちはふたりとも学校の成績は優秀で素直に育った。

「勉強ができるし、 中学は私立を受験させちゃいましょうか。」

「中小企業のサラリーマンとしてはだね、 ふつうの中学から都立の高校に行かせるのが、 分相応だろう。」

「そうね。」

「欲を言うと、 幸せが逃げてしまうよ。 まるで夢みたいじゃないか。 そうだろ」


それでも優秀に育って、 男の子は商社マン。  女の子は新聞社に就職して。  二人の子は巣立つように団地を離れ、 ともに外国の任地へと赴いた。


今、妻は72歳。  夫は10年ほど前に脳内出血で先立ってしまった。

二人の子どもたちはそれぞれに家庭を持ち、 フランス人と結婚しパリに住んでいる娘夫婦からも、ニューヨークの郊外に住んでいる息子夫婦からも、 一緒にこちらに来て住んで欲しいと請われている。 


72歳の妻は、 来月取り壊しが決まっていたこの団地でひっそりと死んでいた。  

部屋をきれいに片付け、 自ら食べ物を取ることをやめて。 餓死するまで一週間か10日はかかっただろう。


妻が最後に見たものはなんだったのだろう。


「やあ、 桜が満開だ。 見てごらん。」 と話しかける夫。

「やっと来てくれたのね。 遅かったじゃない。」

「どうだった」

「何が?」

「ここの暮らしさ」

「そりゃあ、 幸せだったわよ。 もう、こわいぐらい」

夫が手を差し出す。

「じゃあ、 一緒に行こうか。」


泣かせの 浅田次郎 の うたかた という短編。 見知らぬ妻へ という一冊に入っています。

私はこの うたかた (・・タイトルがいいですね) と 迷惑な死体 という話が気にいってます。 表題作の 見知らぬ妻へ は、 ラブレター の 元になったものではないかなと思える話でした。


短編で一生を描かれてしまうと、ひじょうにあっけない。

20ページほどで書