2006年09月28日

9月28日物語U : イナクナッチャッタ


きゃあ、もうすぐで9月終わっちゃうじゃない。 
何してたんだろう。 あんまり記憶がないわ。
時のたつのって早いわね。

遠く離れた友人から 「更新がないけど生きてる?」 とメールがあったので、
「生きてるよ〜」 とお返事したら 「じゃあ、ブログ書こうよ」 と言われて、
うん、 かくかくかく! と、ひざが笑ってるような返事をしたままはや数日。

久々に文章を書くと自分の語り口みたいなものを忘れてしまった感じですが、 もしかしたらそもそも私に決まった語り口ってあっただろうか・・。

何冊か読んだんだけれども久々だからやっぱり気に入ったものをと思ったら、 またまた中島京子 になってしまいました。

オンライン書店ビーケーワン:ツアー1989

ツアー1989  中島 京子著  2006.5  集英社

読んでから何日もたってしまったうえに、あいだに何冊もはさんでいるので記憶が曖昧なため、 再読を。
そう、 記憶とは曖昧でなものなのです。
養老猛さんがおっしゃったように(たしか・・)、 記憶はウソをつくものなのです。

バブル末期の1989年に行われた香港行きの 「迷子つきツアー」 に参加した人々の曖昧な記憶。
あのとき、 同じツアーに参加してたような気もしないでもない、 とっても影の薄い若者。 あの若者を私達は香港に置いてきてしまったのではないか。 そんな気もしないでもない。 

10数年前の香港ツアーで置いていかれたらしい若者から届く一通のラブレター。
それを受け取る倦怠感あふれる人妻。

ラブレターをある人から預かったという 「迷子つきツアー」で行方不明になったらしい若者を探すフリーライター。

そんな影の薄い若者がいたかもしれないけれど、 恋人と逃避行しようとしてツアー客たちをさっさと飛行機に乗せてしまうことしか考えていなかった女性添乗員。

同じツアーに 「リフレッシュ休暇」 で参加した中年会社員も、 そんな若者が、そういえば居たような居なかったような、記憶がはっきりしない。

バブル期に、 普通のツアーではもうお客たちも満足しなくなっていたからと、 奇妙なツアーを企画した旅行会社の男性は、 あれは 『なにかを置き去りにすること』  『なにかを忘れてしまうこと』  のような奇妙な感覚を人々が求めていた時代の 『やらせ』で、 本当は誰も迷子になったりしていないと言うのだが・・・。

手紙や日記やブログで10数年前のツアーで味わった奇妙な感覚を思い出した数人が、 そのツアーのことや当時の自分に起きた出来事の記憶をたどる。

「イナクナッチャッタ」かもしれない影の薄い誰か。
本当に誰か 「イナクナッチャッタ」のか。
自分の記憶を自分に都合の良いふうに変えてしまっていないか。
そして曖昧な記憶はなぜか甘美でもあり。

この本の登場人物たちは奇妙な記憶の余韻に不思議な気持ちにさせられているのですが、 読んでいるこちらにも読後に奇妙な余韻が残ります。
 
「イナクナッチャッタ」 のはあの頃の自分なのではないのか。

そうゆうことを書いてるのかな、この本。

10数年もたてば、 細胞なんて全部入れ替わって新しいものになってしまっているんだし、
「記憶」なんて脳に残った「余韻」であって、 あの頃の自分はもう「イナクナッチャッタ」も同然なのかもしれない。  

・・なぁ〜んて思うように仕向けられちゃった! 
小説もどれだけ自分に甘美な余韻を残すかで、好き嫌いが決まるのでしょうね。
お・す・す・め。
posted by tsukikohime at 01:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 中島京子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月12日

9月12日物語U : ざらざら


夜の公園 では、あれ?川上さんちょっといつもと違うよね、どうしたのかな、 今後こんなふうになっていってしまうのかな、 それちょっとつまんないよ。 
と思って足元の土をつま先でつんつん蹴っていた私でしたが、 
「つーきこちゃん。 あーそぼっ」 って背中をとんとんされて、 嬉しくってくるっと振り向きました。

夜の公園を書く一方で、2002〜2006年の間にこんなに小さなお話をたくさん雑誌に書いていて、まとめてざらざらしたわらばんしに包んで持ってきてくれるなんて。
弘美ちゃん、やっぱり大好き。 うん。 あそぼっ。

甘い小さな四角いキャラメルみたいなお話をひとつひとつ無造作に紙に包んで23個。 ひとつひとつ開いてひとつひとつくちに入れて、 キャラメルの表面のでこぼこの網目模様を舌で確かめながら丁寧に舐めて少しずつでこぼこを消していきしだいにまあるく溶けていく。 最後までずっと甘くて。
ひとつを舐め終わるまでにその包み紙はどうしよう、 小さな小さな折鶴を作ってみましょうか。

一冊を読み終わると、 小さな折鶴が23羽。
破けてへんてこなのや、 くちばしがひん曲がっているのやら、 ぶかっこうなのや、 わりと上手に折れたものやら。 
どれもこれもちっぽけだけどいとしい23羽。


オンライン書店ビーケーワン:ざらざら

ざらざら  川上 弘美著  2006.7  マガジンハウス

23話のうち同じ主人公は2話。 あとはみんな違う話なのに、 10ページもないような短篇ばかりなのに、 それぞれちゃんと主人公の性格や雰囲気が伝わってきて、確かに世界ができていて、ほろっとさせてくれたりくすっとさせてくれたり。
やっぱりすごいな川上さん。 


弘美ちゃん、楽しかったよ、ごちそうさま。
もうお魚の焼ける匂いやお味噌汁の匂いがあちこちの台所から漂ってきたから帰るけど、また遊ぼうね。 
うん、またね。
げんまんだよ。
posted by tsukikohime at 23:07| Comment(0) | TrackBack(1) | 川上弘美 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月11日

9月11日物語U : 最後の家族


2001年第1刷発行。
時代の流行に敏感に反応しやすい村上龍さんの取り上げたものは、 ひきこもり、DV、 リストラ、 妻の不倫、 家族崩壊。

「家族について書かれた残酷で幸福な最後の物語」 と帯に書いてあります。

「いやぁ〜、 それほどでもぉ」 などと私が照れてしまうのも、なんですが。

オンライン書店ビーケーワン:最後の家族

最後の家族  村上 龍〔著〕  2003.4  幻冬舎


えーと、けっこう甘いお話に感じてしまいました。 残酷ってほどではない。  


崩壊、崩壊というけれど、 家族がお互いに依存してくっつくことを辞め、 それぞれが 「個」 として生きなおすというとても素晴らしい終わり方でした。

「個人」として生きさせてもらえず、 「家族なんだから」と、 無理やり押さえつけられるところに不幸の種があったりする・・なんて思うので、 この話の家族は、 最終的には(といっても、娘はまだ高校3年生、 息子は22歳) 自分の夢や進む方向を見つけてそれを親からとくにあれこれ言われないし、 この年で将来の夢やなりたいものを見つけられるのだってたいしたもんだし、 妻だって夫から家を売ったお金の半分をもらって自分にあった仕事を見つけ恋人とハワイに行ったり、 夫もリストラ後に故郷で大好きな珈琲と毎日付き合うことができる喫茶店を開くという、 なんかけっこうみんな良かったじゃない! なお話でした。

ストーリーは甘かった。 5年前のものだから、慣れてしまった題材だからかな。
慣れたといっても、 深刻さは5年前も今も変わらない題材だけれども。
同じ時間を家族それぞれの視点で書くという構成はおもしろかった(けど、そうゆうのって、あるよね)。
でした。

村上龍さんて、すごい傑作と、そうではない時の差が激しい気がします。
posted by tsukikohime at 14:38| Comment(0) | TrackBack(0) | まみむめも | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月05日

9月5日物語U : イトウの恋


ただいまっ! 
ちょっとね、あっちに行っていました。 帰ってきました。 
あっちってどっち。 

読んだ本の感想みたいなことを書いて、でも点数とかはつけたことはなく、 いったいこの本を褒めているのかけなしているのか好きなのか嫌いなのかおもしろかったのかおもしろくなかったのか、はっきりしないあやふやなことをよくやっておりますが、 これ、褒めます。

10点満点だったら10点。 100点満点だったら100点。 と、ついおんなじことを繰り返してしまいましたがそれほど楽しめましたこの本。
本読みさんにも、滅多に読まない人にもぜひお薦めしたいです。

オンライン書店ビーケーワン:イトウの恋

イトウの恋  中島 京子著  2005.3  講談社


横浜の偏差値の低い中高一貫の男子校の社会科の教師が実家の屋根裏部屋で見つけた100年ほど前の手記。
彼はこの史料を調べていくことを「郷土部」のこの1年の課題にしようとはりきる。

この史料を基に郷土史を紐解くことで、 歴史とは何か、 歴史から学ぶとは何か、 人生の意味、 ぼくたちが生きるには、 といった、 とうぜん中学生が考えてしかるべき問題についての注意を喚起し、 大人への準備にあたる重要な時期を、 哲学をもって過ごさせようと考えついた。
「郷土部」の部員は四人。 ひとりはひきこもり中で、 ひとりは留年している生徒で、 もう一人も来年は留年するだろう生徒。  実際参加しているのは一年生の赤堀真くん、一人ということになるのだが。

世界を旅するイギリス人女性探検家 イザベラ・L・バードの「日本奥地紀行」を下敷きに 中島京子が素晴らしい想像力と創作力でもって書いたものです。
イザベラ・バードが東北・函館方面へ旅行(探検)するにあたって通訳として同行した実在の人物で、日本の通訳業の先駆者となった 伊藤鶴吉が、 屋根裏部屋から出てきた手記の筆者ということになっています。

久保耕平という社会科の教師が夢中になってこの手記を読み出してみると、 手記は途中で終わっている。 この続きがあるはずだ! とたどり着いたのが伊藤鶴吉の子孫であるだろう女性。 彼女は元モデルで現在は暴力劇画の原作を書いているやたらと背の高い田中シゲルという女性。

『齢五十ヲ過ギテヨリ来シ方ヲ振リ返リナバ、 誰ニシモ思ヒ当タラム。  壮年期、 疾風ノゴトク過ギ去リシ日々ハ』

と教師が史料を読みだすと、
「待ってってば。 ヨワイ五十って何? 何のこと? コシカタって? 腰と肩? 五十肩とか、 五十腰とか、 そんなようなこと言ってるの? 先生、 オレまだ十三歳になったばっかりだよ」
と部員の赤堀真くんは言うし、

田中シゲルさんは、 「だって、そんな昔の人の書いたもんなんて、 筆みたいなので書いてあるのよ。 しかもほとんどがカタカナで、 カタカナにわけのわかんない漢字みたいなもんが混じってて、あ、ひらがなだ、ひらがながある、と思うと、 それが日本語じゃないのよ。 そんなことってある? そんなの、 私が読めると思う? あの男。 私のこと、 馬鹿にしてるの?」 

と友達にまくしたてるような状況なので、 久保耕平先生は赤堀真くんや田中シゲルさんや私達読者の為にこのイトウの長い長い手記を現代日本語に書き直してくれるのです。 ありがたや。

明治初期のハイカラな横浜の様子や、 青い目の金髪の人間なんて見たこともなかった東北の人々の驚きの様子や蝦夷踏破の旅の途中で立ち寄る函館の華やかな雰囲気を背景に、 次第にイザベラへの恋心を募らせていくハタチのイトウの苦悩や、 それに気づいてしまった40歳を過ぎたイザベラの心の動きなどをイトウの手記を通して堪能しながら、 並行して現代の久保先生、赤堀くん、田中さんのやりとりもユーモラスにテンポよく進みます。
イトウの手記はそれでもうひとつの小説みたいなもんで、 現代と明治を行ったり来たりしながら、 あー、 イトウの手記の続きをもっと読みたい! 続きはどこにあるのだー! という具合に中島京子さんの術にはまってしまう私なのでした。

いまのところ、今年読んだ中では上位3位には入るかな。 文句なしです。


しばらくあっちにいっていて書いていませんでしたが、 本は何冊か読んでいて、 読んだ順序は違うけれど久しぶりにブログに書くなら、 なんかイマイチだったよーなんて言うよりこれはもう絶対お薦め! 本について書きたかったです。
で、もしまたしばらく書かなかったらまた絶対お薦め本についてから書きたくなるから、 だけれどもそれに遭遇するのはなかなか難しく、 だからあんまりお休みしちゃうのも・・、なんですねぇ。

  

 
posted by tsukikohime at 23:55| Comment(6) | TrackBack(3) | 中島京子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする